青森県

七戸城と七戸家国~姫塚伝説もある七戸南部氏の居城

七戸城




七戸城

七戸城(しちのへじよう)は、青森県上北郡七戸町にある標高40mほどの平山城で比高は20m、柏葉城とも呼ばれ、国の史跡に指定されています。

最初の築城は、南北朝時代の南部政長とされてきました。
建武元年(1334年)に、北畠顕家の国宜で執権・北条氏の代官として、五戸と七戸を治めた工藤右近将監の名がみられますが、七戸城主となったかは定かではありません。
そして、建武2年(1335年)に南部師行の弟・南部政長が、新田義貞鎌倉攻めに参じて戦功を挙げたため、七戸は南部政長に与えられ、七戸南部氏の代々の居城となったと言うのですが、この裏付けも取れていません。





発掘調査の結果、古い時代を示す遺品などが出なかったことから、七戸城としては、根城南部氏(八戸氏)の第8代・南部政光の築城と考えられています。
南部政光(なんぶ-まさみつ)は、成人すると、母・加伊寿御前が南部政長から譲られたと言う七戸城を本拠としました。
下記は復元されている東門ですが、文献に残されている記録をもとに、2008年に復元されたものとなります。

七戸城・東門

その後、南部家先祖の地である甲斐・波木井に住んでいますが、南朝の後亀山天皇が皇位を北朝の後小松天皇に伝えて南北朝が統一されたあと、1393年からは、八戸・根城に入りました。

七戸城

ただし、隠居すると、七戸城に戻ったようで、1427年2月3日に亡くなっています。
その子・南部政慶から七戸氏を名乗るようになったともされています。

七戸城

なお、もっと古い鎌倉期の南部氏初代・南部光行の4男・南部朝清が七戸氏を名乗ったとも言いますが、古い時代の七戸氏の知行地・居城は近くの別の城だったと言わざるを得ません。

七戸城

七戸城は北館、本丸、下館、西館、角館、宝泉館、南外郭、西外郭、貝ノ口郭、北西外郭などの郭からなっています。

七戸城

本丸とされる場所が柏葉公園になっていますが、最近の発掘調査での出土品から、北館が七戸城の中心であったことが分かっており、近世に主郭が変更されたと考えられています。

七戸城・北館

1456年、蠣崎蔵人の乱の際と、文明15年(1483年)の三戸南部家の御家騒動の際に、七戸城は戦火に見舞われて落城したとあります。

七戸城

八戸南部氏12代・南部守清の時まで、七戸城だった?模様ですが、13代・南部政経は八戸守清の養子となり、根城南部氏を継いだため、以後は八戸城が本拠となり、七戸城には一族が入ったと推定できます。

七戸城

そのため、八戸氏流七戸氏は、宗家となる八戸氏と共に行動していたのでしょう。
ただし、八戸南部氏の本家(南部氏の惣領家)は、三戸南部氏となります。

七戸家国

戦国時代の話となりますが、堀越城主・津軽為信の台頭により、七戸城主・七戸直国の長男である七戸家国(しちのへ-いえくに)が領地の平内を奪われたとあります。
この七戸家国は、七戸彦三郎ともむ言いい、南部一門の一戸城主・一戸実富、大里城主・大里親基らと、三戸城の本家・南部晴政の重臣となりました。

七戸城

津軽統一を目指した、津軽為信と争いましたが、その勢いを止めることは出来なかったと言う事になります。

七戸城

1590年、豊臣秀吉小田原攻めを行うと、天正19年(1591年)に七戸家国が、九戸政実の乱に味方して、出法寺城や六戸城を攻撃したあと、九戸城にて籠城しました。

七戸城

「九戸軍記」によると、七戸家国は最後の突撃を行い、南部信直の陣に迫り、大声で城内の女子供の助命を嘆願したあとに、その場で自刃したと伝わります。享年43。

九戸政実の乱のあと

九戸政実の乱は豊臣家の奥州仕置によって討伐され、七戸城は上杉景勝により落城し破却されましたが、浅水城主・南部信義の3男・南部直勝(南直勝)に七戸が与えられています。
その子・七戸直時が名跡を継ぎ2300石として、盛岡藩の家老となりました。

七戸城

その七戸直時の死後、陸奥・盛岡藩の初代藩主である南部利直の3男・南部重信が1648年から七戸を領しましたが、江戸時代の1664年に兄・南部重直が死去すると、3代藩主となったため、七戸領は盛岡本藩の直轄領になりました。
そして、旧七戸城内の本丸と二之丸に七戸代官所が設置され、七戸御給人が配置されています。

七戸代官所

代官所時代には七戸城の旧本丸に御殿、御台所、御武具櫓。
二之丸には御役屋、稲荷宮、煙硝櫓、御しめ櫓、大豆蔵、土蔵、番屋、表門、北御門、西御門、高田家屋敷、福士家屋敷などが設けられていたと言います。

七戸代官所

1694年(元禄7年)には、盛岡藩5代藩主・南部行信が、舎弟の南部主税政信(麹町候)に5000石、南部主計勝信に3000石を分知して、江戸幕府旗本寄合席(江戸住まい)として別家を立てます。
その麹町候系の5代・南部主税信鄰(麹町候)が、盛岡藩11代藩主ろ南部利敬から6000石を加増されて、11000石の大名に列しました。
その嫡子・南部信誉は、蝦夷地の北方警備の功績によって、城主格大名となりましたが、築城は許可が下りていません。
7代の南部信民は戊辰戦争の際に、奥羽越列藩同盟に加わりました。





七戸城跡は現在、柏葉公園として整備されています。
二の丸には姫塚があります。

七戸城・姫塚

昔、七戸城主に美しいお姫様がいたのですが、身分の低い武士と恋仲となり、それがある日、殿様に知られて、相手の武士が殺されたと言います。

七戸城・姫塚

その殺された武士の跡を追って、お姫様も自害したと伝わるものです。

七戸城・姫塚

近くにある青岩寺の山門は、七戸城の本丸城門を移築したものとされます。
ちょっとレンズに光が入ってしまいましたが、念のため写真を掲載しておきます。

青岩寺の山門

七戸城へのアクセス・行き方ですが、JR東日本の東北新幹線「七戸十和田駅」から約3.5kmの距離で、歩くと40分くらいです。
無料駐車場は、東門前もしくは柏葉館駐車場となります。
観光所要時間は約30分~60分といったところです。

七戸城

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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