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弘前城の解説【日本100名城】現存櫓や天守が風情ある広大な津軽家の城

弘前城




弘前城(ひろさきじょう)は、青森県弘前市にある梯郭式平山城の国史跡で、別名は鷹岡城、高岡城と言います。
弘前城は、東西約600m、南北約1000m、三重の濠(ほり)と土塁に囲まれた6つの郭(くるわ)から構成されており、日本100名城にもなっています。

戦国大名化した津軽為信(大浦為信)は居城として、大浦城から1594年からは堀越城を使用していました。
しかし、関ケ原の戦いの際に、在郷していた板垣将兼、尾崎喜蔵、多田玄蕃らが、堀越城を陥落させています。





また、1602年には、津軽為信の長男である津軽信建の子・津軽熊千代に対して、津軽為信が誤って、顔に火傷を負わせてしまいます。
その時、津軽信建(つがる-のぶたけ)は父・津軽為信と対立し「天童事件」が勃発します。

弘前城

津軽為信の使者として家臣・天童某の不手際を責めた津軽信建は天童某を処刑しました。
これに怒った天童一族が、津軽信建の堀越城に乱入した為、津軽信建は女装して城から逃れたとされます。

弘前城

こうして、堀越城では防御が弱いと言う事で、沼田祐光の意見を採用した新城・高岡城(弘前城)への本拠地移転が1603年に決まり、徳川幕府の許可も得ました。

弘前城

築城は弘前藩2代藩主・津軽信枚の代まで続き、大光寺城、堀越城、大浦城の建物も移築するなどされたと言います。
1611年に鷹岡城(弘前城)が完成しています。

弘前城

なお、1609年に名古屋城を完成させた、小田原城・北条家の重臣だった大道寺政繁の養子・大道寺直英(大道寺隼人、舎人源太左衛門の嫡男で遠山綱景の娘の連れ子)を、津軽藩主・津軽信枚は見込んで、更に築城しようとした城の縄張役として大坂冬の陣のあとにスカウトしています。
ただし、一国一城令により、幻の築城計画となりましたが、大道寺直英は津軽藩の家老となり代々家老職を務めました。

1628年(寛永5年) に、津軽信枚が帰依した天海大僧正が「弘前」と言う地名を提案し、城名も弘前城となった次第です。

現存の櫓と門

国の重要文化財となっている現存の門や櫓を少しご紹介いたします。
下記は三の丸・東門です。

弘前城・東門

下記は弘前城のニの丸・東内門です。

弘前城・東内門

下記は二の丸・南内門となります。

弘前城・南内門

続いては弘前城の三の丸・追手門です。
このように国の重要文化財としては、天守・辰巳櫓・丑寅櫓・未申櫓・三の丸追手門・三の丸東門・二の丸南門・二の丸東門・北の郭亀甲門と、弘前城の文化財は多いです。

弘前城の追手門

そして、北の郭の北側にあります、北門(亀甲門)で、大光寺城から移築したとされます。
大きくてとても立派な門ですが、茨城県つくばみらい市にある、MHKの時代劇セット「ワープステーション江戸」にある「江戸城大手門」は、弘前城の門がモデルとなっています。

弘前城・北門(亀甲門)

次は現存の櫓(ろ・やぐら)に行きますが、まずは、二の丸からで辰巳櫓です。
ただ、木が茂っていて見えにくい部分はご容赦願います。
冬だと葉っぱがないので、まだ見やすいかもしれません。

弘前城・辰巳櫓

下記は、二の丸・未申櫓です。

弘前城・未申櫓

そして、丑寅櫓ですね。

弘前城・丑寅櫓

弘前藩は約5万石なのですが、重文の門と櫓を撮影するだけでも、広いので60分くらい擁してしまいました。
下記は、本丸にあった石垣の展示です。

弘前城の石垣

弘前城の天守

本丸に現存している天守は層塔型3重3階の建物です。
ただ、弘前城が完成した当初は、本丸南西隅に5重内部6階と、会津若松城に次ぐ大きな天守が1609年に完成していました。
しかし、1627年に落雷で火災となり、天守に備蓄していた火薬が引火して、大爆発を起こし、本丸御殿などと焼失したそうです。

弘前城

その後、再建はされず、天守台のみが残されています。

弘前城の本丸

この5重天守の代用として、1811年、9代藩主・津軽寧親のときに完成したのが、本丸南東隅の辰巳櫓(御三階櫓)となります。

弘前城の天守

江戸幕府への遠慮から天守とは呼びませんでしたが、事実上の天守と一般的に言われており、現存12天守のひとつに数えられます。

弘前城

実際に弘前を訪問して拝見させて頂きましたが、この建物を「天守」(てんしゅ)と呼ぶのには、少し違和感がありました。
弘前城にある他の現存「櫓」(ろ・やぐら)が、大変立派な状態で残されているから、余計にそう感じたのだと存じます。

弘前城の内部

しかし、そもそも、天守は、そんな櫓から発展した建物ですので、辰巳櫓(御三階櫓)を弘前城の天守としても、間違いと言う事ではありません。
と言う事で、昭和24年(1949年)に、北海道の松前城・天守が失火により焼失したため、最も北に位置する現存天守となっています。

なお、天守付近の本丸石垣が膨らんでいることや、天守に傾き生じていたことから、2015年8月に弘前城・天守の建物を持ち上げて、10月に仮天守台へ移動。

弘前城の石垣修理

石垣の修復工事が完了したら、天守を元の位置に戻すと言う工事が行われており、2121年に工事完了する見込みです。

弘前城の石垣修理

仮の天守台にある弘前城天守は、移動先でも内部公開されており、冬季を除く4月1日~11月23日の間は、見学可能となっていますが、要確認願います。
なお、石垣の修理は更に5年間、継続されるそうです。

弘前城の石垣修理

ゴールデンウィークの時期には、弘前公園にて弘前さくらまつりが行われ、日本さくら名所100選にも選ばれています。

弘前城と桜

弘前城の有料区域は本丸と北の郭で、朝9:00~17:00(入園券販売は16:30まで)
GWのさくらまつり期間中は7:00~21:00。
大人310円、子供100円
4月1日~11月23日のみの開場です。
冬季の11月24日~3月31日までは有料区域が無料になりますが、天守閣の内部は閉館となっています。
武徳殿休憩所は通年開館しています。

交通アクセス

JR弘前駅より徒歩約25分
JR弘前駅前の弘南バス乗り場より土手町循環100円バスで約15分「市役所前」下車。





弘前城の駐車場

弘前城(弘前公園)の専用駐車場はありませんが、周辺には民間の駐車場を含めて、いくつかあります。
ここでは、弘前公園東門近くにある弘前文化センターの駐車場(110台)をご紹介します。
下記ポイント地点が駐車場入口です。

入出場は午前8時~午後22時で、30分100円ですが、最初の1時間は誰でも無料です。

他には津軽藩ねぷた村(220台)、南にある弘前市役所と市立観光館(100台)、その他、民間の有料パーキングが弘前城の西側にもあります。
弘前城の観光所要時間は90分~120分といったところです。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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