岡山県

猿掛城 山陽道の重要拠点となる穂田(穂井田)の山城

猿掛城

備中・猿掛城(さるかけじょう)は、岡山県倉敷市真備町から小田郡矢掛町にかけてある標高230mの連郭式山城で、比高は220mとなります。

最初の築城は南北朝時代の初めころとされますが、安芸にも猿掛城があります。
広島のは通常、多治比猿掛城と記載することが多いので、岡山の猿掛城は、そのまま猿掛城として明記することをお許し願います。

武蔵国児玉党の出自で幸山城を本拠としていた、庄資政が猿掛城を築いて拠点を移したと言います。

1492年には、守護・細川勝久が猿掛城を急襲しましたが、このときの城主・庄元資は退避し、香西一統が孤軍奮闘の末、城中にて切腹しています。





戦国時代に入ると天文2年(1533年)に庄為資が備中・松山城の上野頼氏を攻め滅ぼし、備中の半国を支配すると、本拠を備中松山城に移しました。

そのため、猿掛城(猿懸城)には庄一族である穂田実近(穂井田実近)が入ります。
しかし、鶴首城主・三村家親毛利元就と結んで、猿掛城を攻撃したため、庄為資は、三村家親の長男・三村元祐を穂田実近の養子に迎えて、猿掛城主にすることで和睦しました。
こうして、事実上、庄氏は、長年の本拠だった猿掛城を失います。

このように、三村家親は毛利家の後ろ盾を得て力を付けましたが、永禄11年(1568年)、庄為資の子・庄高資が備中に侵攻した宇喜多直家の協力を得て、猿掛城を奪還しました。
これに対して、毛利元就は4男・毛利元清を派遣して猿掛城を奪取しています。
その勢いを得て、三村家親の亡き後を継いだ、三村元親は、庄高資を追い落として備中・松山城主となり備中に覇を唱えました。

ところが、1574年、三村元親は大恩ある毛利家を離反して、羽柴秀吉の調略によって織田信長と結んだため、毛利氏と三村氏が争う備中兵乱となります。
備中兵乱にて、毛利家は猿掛城を重要拠点として、毛利元清などは三村氏攻略を行いました。
そして、天正3年(1575年)5月、備中松山城は陥落して三村元親は自刃し、備中兵乱は終結します。

これらの戦功によって毛利元清は5000貫にて猿掛城主となりました。
なお、旧領の安芸・桜尾城には妻・御北尾と、9弟の才菊丸(小早川秀包)を残しています。
こうして、毛利元清は猿掛城のある穂田郷という在名から穂田(穂井田)に改名しました。

1579年には、のち長門長府藩の初代藩主となる毛利秀元を、穂井田元清の正室である村上通康の娘・妙寿院が産んでいます。

天正10年(1582年)には羽柴秀吉による備中・高松城の水攻めの際には、猿掛城が総大将である毛利輝元の本陣になっています。

天正11年(1583年)毛利元清は猿掛城の西にある茶臼山に中山城(矢掛茶臼山城)の築城を開始して、完成すると本拠を移しました。
そのため、猿掛城には重臣・宍戸隆家(毛利元就の娘婿)が城代として配置されています。

天正17年(1589年)広島城の建造が開始されると、穂井田元清は普請奉行として広島に在住しました。

慶長5年(1600年)、関ケ原の戦いにて毛利家は、防長2国へと大幅に減封され、1604年になって花房正成が5000石にて猿掛城に入城しています。
この花房正成(はなぶさ-まさなり)は、もとは宇喜多直家の重臣で、徳川家康の旗本として復帰した次第です。
花房正成は、宇喜多秀家が八丈島に流されても、花房の家名が続く限り宇喜多家を援助することを遺言したと言う忠臣で知られます。
ただし、花房正成は麓に居住したとも考えられますので、その点はご容赦願います。

なお、元和元年(1615年)の一国一城令にて、猿掛城も廃城となりました。

現在も城趾には堀切・土塁・石積み・本丸・二~六の丸・寺丸・大夫丸・砲台跡など多くの遺構が残されており、保存状態も良いらしいです。
しかし、ロープ頼りに直登する急坂があると言いますし、イノシシやヘビも出ると言いますし、今回は季節と時間の関係で断念しました。





猿掛城に登城する場合ですが、登山道は北の小田川沿いに2箇所あります。
大手と搦手は同じ所からで矢掛町側、真備町側の登山道入口にも案内板があると言いますが、登るのであれば冬が良いみたいです。
井原鉄道「井原線」の三谷駅より、登城口まで徒歩20分くらいです。

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攻略難易度
中級者向け
旧国名
備中
著者コメント
かなりの山城ですので、下調べは入念に。




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