岡山県

鶴首城(成羽城) 三村家の軍師・三村親成が城主となる

鶴首城(成羽城)




鶴首城(かくしゅじょう)は、岡山県高梁市成羽町にある連郭式山城で、別名は成羽城と言います。
標高は338m、比高は250mと結構、堅固な山城です。

鎌倉時代の最初の頃となる1189年に、奥州・藤原氏の平定で功績があった河村秀清(河村四郎秀清)が築城したと伝わります。
河村秀清(かわむら-ひできよ)は、波多野氏の一族で本貫は、相模・河村城でした。
13歳にて奥州合戦で武功を挙げたことに感激した源頼朝は、岩手や宮城に3箇所、そして、備中・成羽にも所領を与えたと言い鶴首城が築かれ、岩手には大巻城(大巻館)が設けられました。
ただし、河村秀清は宮城の茂庭に居を定めたとする説が有力とされているようです。





そして、戦国時代の天文2年(1533年)に、星田を本拠としていた三村家親が成羽の庄を奪取し、鶴首城(成羽城)を改良すると拠点を移し、三村家はここから勢力を更に拡大しました。
この備中・三村氏は、常陸国筑波郡三村郷から起こり、のちに信濃三村氏となった庶流である三村能実が鎌倉時代の後期までに、備中・星田郷の地頭となったものです。

なお、平時は、成羽の街にあった三村氏居館にいたようですので、鶴首城(成羽城)は詰の城となります。
鶴首城の本丸(一ノ壇)は、東西33m、南北23mで、主郭は七ノ壇になっている連郭式山城です。

鶴首城

安芸・吉田郡山城の毛利元就と結んだ三村家親は、永禄3年(1560年)に庄高資の備中・松山城を落とすと、更に本拠を移し、鶴首城には一族の三村親成(みむら-ちかしげ)と三村親宣の父子が置かれました。

三村親成

三村親成(三村孫兵衛親成)は、三村家親の弟とも甥ともされる一族の武将で、思慮深く頭脳明晰、また兵法に精通しており、三村家の軍師だったといいます。

永禄9年(1566年)宇喜多直家に策略によって、三村家親が鉄砲で暗殺されると、備中兵乱が激化します。
1567年、明禅寺の戦いで、三村家は大敗し、臣従していた国人が次々に尼子家などに離反したため備中松山城も失い、再び、三村家の本拠は鶴首城となりました。

1571年には、庄高資を討ち取って松山城・猿掛城を回復した三村元親も、1574年に毛利家から織田信長に鞍替えします。
この時、鶴首城主だった三村親成の父子は反対して、三村家から離反して毛利元清の三村家討伐に加わりました。

そのため、鶴首城の守備には、三村親重が200余騎で入りましたが、1575年1月1日に落城しています。
このように、毛利勢は毛利輝元を総大将として、国吉城、鶴首城、楪城、荒平山城、鬼身城などを次々と落とし、三村元親の備中松山城に攻めて自刃させました。
そして、最後の拠点となった備前・常山城も落とし、三村氏は滅亡します。

そのため毛利家に味方した三村親成が、再び鶴首城主として復帰しましたが、所領は半分以下とされる8000石まで減らされたとあります。

このようにして、毛利領となった鶴首城でしたが、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにて毛利家は減封となり、三村親成(三村孫兵衛親成)は領地を失って備前児島三宅氏に身を寄せました。
その後、三村親成は福山藩主となった水野勝成に家老として召し抱えられています。

なお、成羽には7000石にて岡家俊(岡越前守家俊)が入りました。
この岡家俊(おか-いえとし)は、岡山城主・宇喜多秀家の重臣でしたが、1599年の宇喜多騒動の際に出奔して、徳川家康の元に身を寄せていました。
そして、関ヶ原の戦いで戦功を挙げたと言うことになります。





しかし、慶長19年(1614年)大坂の陣では、岡家俊の長男・岡平内は、明石全登を頼って大坂城に入城したとありますので、恐らくはキリスト教を信仰していたのでしょう。
そのため、大坂城落城後に岡越前守家俊は死罪となり、京都・妙顕寺にて切腹し、子の岡平内も処断されました。

成羽陣屋

元和3年(1617年)になると、成羽には若桜鬼ヶ城城から山崎家治が35000石にて入りますが、鶴首山の麓に成羽城(成羽陣屋)を築いたため、、鶴首城は廃城になった模様です。

成羽陣屋

この山崎家治(やまざき-いえはる)は、石田三成の挙兵を徳川家康にいち早く伝えた武将であり、築城の名手ともされ、のちに讃岐丸亀5万3000石となると、名城とうたわれる丸亀城を造営開始します。

さて、鶴首城への交通アクセスですが、成羽陣屋跡となる成羽小学校の南側に登城口があります。
成羽総合福祉センター付近にある観光案内所と無料駐車場が利用可能です。





鶴首城の見学所要時間は、登城口の太鼓丸公園から太鼓丸までは片道15分、さらに25分で頂上ですので、片道は合計約40分となる急登です。
登山道は、鶴首城跡に登ろう会さんによって、キレイに整備されているとのことですので、素晴らしい活動ですね。

成羽には、三村元親が父・三村家親の菩提を弔うために建立した源樹寺もありますので、セットでどうぞ。

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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