広島県

桜尾城とは 厳島合戦を勝利に導いた海城

桜尾城




桜尾城(さくらお-じょう)は、広島県廿日市市桜尾本町にある複郭式平山城です。
標高は15m、比高は10mほどですが、かつては標高31mの高さだったとの事です。
戦国時代には、半島のような形状で、3方が瀬戸内海に面したことから海城でもあり、対岸には厳島神社があります。
現在、安芸・桜尾城の周りは埋め立てられて住宅街になっています。
最初の築城としては、鎌倉時代の1221年に、厳島神主となった藤原親実が築いたとされています。





このように、厳島神社の社領になっていたようですが、1441年、安芸武田氏でもある武田信賢が、桜尾城を包囲しています。
戦国時代の桜尾城主としては友田興藤がおり大内氏に従っていました。
しかし、1541年に、友田興藤は尼子氏に寝返ったため、桜尾城は大内義隆に攻撃され、友田興藤は自刃しています。
その後、大内家の家臣である杉隆真が入ると、佐伯景教と改名しました。
やがて、陶家の家臣である江良賢宣が守ります。
毛利元就が力をつけると、1554年の攻撃に屈して、江良賢宣は開城降伏し、桂元澄が入りました。
こうして、厳島の戦いでも、桜尾城が重要な役割を果たしており、陶晴賢の首実検も桜男城にて行われました。





桂元澄が死去すると、毛利元就の4男である穂井田元清が安芸・桜尾城主となりました。
1586年からの九州攻めにおいては、豊臣秀吉が桜尾城に立ち寄り、厳島神社を参詣しています。

1600年、関ヶ原の戦いのあと、毛利輝元は所領を減らされ、安芸は福島正則が治め、広島城を整備します。
そして、桜尾城は廃城になった模様です。

小高い山のうえは、大正元年に桂元澄を先祖に持つ桂太郎が、土地を寄贈し、現在、桂公園として整備されています。
ただ、公園化した際に遺構は失われた模様です。

近くの洞雲寺には桂元澄の墓、穗田元清の墓、友田興藤の墓、陶晴賢の首塚があります。





桜尾城への行き方・交通アクセスですが、広島電鉄・宮島線「広電廿日市駅」からは約600mです。
桂公園の無料駐車場が丘陵の上にあります。
麓の公園入口にトップ写真の石碑があります。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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