岡山県

備中松山城の解説【日本100名城】登城方法 雲海に浮かぶ天守の幻想的な姿

備中松山城

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名称 : 備中松山城、高梁城
場所 : 備中国
形態 : 連郭式山城
天守 : 複合式望楼型2重2階(現存)
遺構 : 現存天守・櫓・門・塀・石垣・土塁
築城年 : 1240年
指定文化財 : 国重要文化財国史跡

備中・松山城とは

備中・松山城(びっちゅう-まつやまじょう)は岡山県高梁市内山下の臥牛山にある山城で、別名は高梁城(たかはしじょう)、小松山城とも言います。
標高は420mで、比高はなんと350mもある堅固な山城で、岩村城、高取城とともに日本三大山城のひとつとされます。

NHK大河ドラマ「真田丸」にて、オープニング映像にも使われた石垣があるのが、備中・松山城ということになります。
現存天守12城の中で「山城」となっているのは、備中松山城だけですので「天守が残る唯一の山城」とも言えますが、逆に現存12天守のなかで、最も訪問しにくい城跡でもあります。
おじいさんになってからは、無理だなと思い、早めに行っておきました。


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備中松山城の城跡は、関ヶ原の戦いの直前くらいに整備されたと考えられる近世城郭で、それより前には北側にある「大松山城」が中心だったようです。
そのため、本稿では、大松山城は別ページにて紹介し、ここでは小松山城とも言う備中松山城のみに関して記述させて頂きます。

備中松山城

戦国時代から江戸時代に移り、1642年に水谷勝宗が5万石で備中松山藩主となります。

備中松山城

この水谷勝隆(みずのや-かつたか)の水谷家は、もとは結城城主・結城晴朝(ゆうき-はるとも)に臣従していた結城四天王の1人である水谷正村がおり、下館城が居城でした。

水谷正村が隠居すると家督を継いだのが、水谷勝隆の父・水谷勝俊(みずのや-かつとし)ということになります。

備中・松山城

主家の結城晴朝が養子に徳川家康の次男・結城秀康を迎える際には、父・水谷勝俊が交渉役を努めました。

備中・松山城

そして、関ヶ原の戦いのあと、結城秀康が越前・北ノ庄城に転封となると、水谷家は正式な独立大名となり、31000石にて下館藩を成立させました。

備中・松山城

そのあとを継いだのが、水谷勝隆で、備中成羽藩主(なりわはん)を経て、1642年に備中松山藩に移封になったと言うことになります。

備中・松山城

その後を継いだ、備中松山藩の第2代藩主・水谷勝宗(みずのや-かつむね)が、天和元年(1681年)から天和3年(1683年)にかけて、備中松山城に天守を設けるなど、約3年にわたり大修築を行い、現在の様相となりました。

備中・松山城

今回は、ふいご峠まで、シャトルタクシーを利用して、そこから歩いて登りました。

備中・松山城

遊歩道は整備されており、歩きやすいですが、坂道・階段ですので、結構、息が切れます。

備中・松山城

夏場は、熱中症対策が必要になるでしょう。
下記写真の場所までは無料エリアで、本丸部分に入るのには有料となります。

備中松山城

天守の構造は、複合式望楼型の2重2階です。
まあ、櫓ということですね。

備中・松山城

これは、12の現存天守の中で、建物としては一番低い天守になっています。
ただし、天守の建物に関しては、関ヶ原の戦いの前に毛利氏が築いていたともされ、その天守を水谷家が改良・建て直しなどを行ったとも考えられているようです。

備中・松山城

天守への入口なんですが「狭い」です。
もちろん、防衛上は、これがベストだと思いますが・・。

備中・松山城

なお、水谷家はその後、嫡子がなく断絶しますが、このとき、赤穂城主の浅野長矩(浅野内匠頭)が受取りの任にあたり、家老の大石良雄(大石内蔵助)が、2年間、備中松山城の城番を努めています。

備中・松山城

麓から山頂にのぼるルートをせっせと登りますと、途中に「大石内蔵助の腰掛け石」があります。

大石内蔵助の腰掛け石

その後は、安藤家、石川家、板倉家などが入封し明治まで続きました。

備中松山城

明治の廃城令にて、備中松山城も解体が決定します。

備中・松山城

城下町に近い御根小屋(居館・政庁)は解体・再利用されて、跡地は岡山県立高梁高校となっていますが、山上は比高350mと不便だったことから、建物が壊されることはなく、そのまま放置されて荒廃しました。
そのおかげで、天守(現存天守)、二重櫓、三の平櫓東土塀の3棟はボロボロながらも残り、昭和16年に国宝(旧国宝)に指定されています。(現在は国の重要文化財)

下記は、重文の二重櫓です。

備中松山城の二重櫓

戦後、備中松山城は国史跡となり、1994年からは本丸の復元整備が行われました。
思い瓦屋根を、学生さんも夏休みに協力して、山上に上げたそうです。

備中・松山城

その結果、本丸南御門、東御門、腕木御門、路地門、五の平櫓、六の平櫓、土塀などが忠実に復元され、日本100名城にも選ばれています。

備中・松山城

御根小屋跡

備中・松山城の麓にある成庁跡となる、御根小屋跡です。

御根小屋跡

現在の岡山県立高梁高等学校の正門のあたりとなります。
この付近には、高梁武家屋敷などの町並みが残っています。

高梁武家屋敷

道は狭いですが、無料の駐車場もありますので、少し歩いて散策してみると良いでしょう。

備中松山城の見学方法

秋から春にかけては、早朝に「雲海」が広がることで有名となり、たくさんの観光客が訪れる人気スポットです。
ジュース類の自動販売機は、ふいご峠が最後です。
下記がそのふいご峠ですが、写真中央のところより、未舗装路を上へと歩いて行きます。

ふいご峠

本丸部分は有料エリアとなっています。
なお、備中松山城は、なんども記載しますが、麓からの高低差が350mもあると言う、現存天守を持つ山城としては日本で一番高い所にありますので、整備はされていますが、キケンなところもあります。
そのため、備中松山城を訪問する際には下記の通り注意が必要ですので、まとめておきます。

クルマで訪問する場合

基本的には、城見橋公園駐車場(5合目)に駐車して、ふいご峠(8合目)まで「バス」に乗車して往復するのか基本となります。

登城整理バスは、整理料が往復でひとり400円です。
終点のふいご峠(8合目)までは、駐車場から所要時間は10分くらいです。

備中・松山城

ふいご峠からは、歩いて本丸部分まで登ることになりますが、片道約20分位になります。
結構、坂・階段もキツイ登り、杖の貸出はあります。

なお、12月~2月や雨天時など、シャトルバスが運行していない日があります。
バスの運行がない日には、ふいご峠(8合目)まで、直接普通車で乗り入れが可能となりますが、道は対面通行できない細い道です。
バスや乗り合いタクシーは、無線でやり取りして、出会わないようにしています。

登城整理バス運行予定表にて、スケジュールをご確認願います。

登城整理バスの運行時間は4月~9月は朝9時~17時30分(登り最終16時30分、下り最終17時45分)。
10月~3月は朝9時~16時30分(登り最終15時30分、下り最終16時45分)となります。
運行感覚は約15分毎で、小学生までは無料です。

備中松山城

なお、シャトルバス発着場からの往復・観光所要時間は70分といったところでした。
運転手さんに聞いた話では、GW(ゴールデンウィーク)は駐車場も満車となり、駐車するのに最大で3時間掛かっていたと言う話を聞いていますので、混雑時は、覚悟が必要みたいです。
もし、連休などに訪問するのであれば、朝一番が狙い目でしょう。

電車・バスの場合

JR伯備線にて岡山駅から約40分、備中高梁駅近くの高梁市観光案内所から「観光乗合タクシー」に乗車すれば、直接、ふいご峠(8合目)まで入れます。
片道ひとり500円で、高梁市観光案内所(TEL0866-22-8666)に前日17時までの「予約」が必要です。

備中・松山城の二重櫓

タクシーなどを使用しない場合、JR伯備線「備中高梁駅」から徒歩で登ることになります。
駅からに山頂の天守付近までは徒歩で約90分となります。

ただし、クルマでも電車でタクシーでも、上記の方法ですと、早朝の運行がないため、「天空の城」を見るためには、無理なのです。
という事で、念の為「天空の山城」を見学する場合の方法も記載しておきます。

備中松山城

そうそう、備中松山城PR動画も撮影・編集してみましたので、よければ、ご覧ください。

備中松山城観光乗合雲海タクシー

雲海タクシーは、備中松山城に登るためではなく、雲海見学が可能な「展望台」まで相乗りタクシーで行けるプランとなります。

運行期間はだいたい毎年10月1日から3月31日までとなりますが、もちろん、雲海が出ない日もありますので、念の為記載しておきます。
冬には凍結の恐れもありますし寒いですので防寒対策も必要です。

運行は2便あり、備中高梁駅前を朝7時30発と、8時発となります。
雲海見学の展望台からの帰りは1時間10分後に出発となり、備中高梁駅前に戻ります。
往復で乗車料金はひとり1500円です。
前日の17時までに電話予約が必要です。
高梁市観光案内所(電話0866-22-8666)


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なお、雲海見学が可能な臥牛山にある大松山展望台へは一般車両も入れます。
4台ほどの駐車スペースと仮設トイレがありました。
雲海はありませんが、下記のような風景を撮影可能です。

備中松山城

下記の地図ポイント地点となります。

ただし、冬期は道路凍結の可能性もありますので、スタッドレスタイヤなどの装備があると良いかも知れません。

昼と夜の寒暖差が大きいことや無風などの気象条件がそろわないと雲海は発生しません。
雲海が一番良い季節は、11月上旬から12月上旬頃までが濃い雲海となり、明け方6時前くらいから朝8時頃までがベストな時間ですが、3月までは見られる可能性が高いです。
天気がよく、最低気温と最高気温の気温差が大きいことが、雲海発生のひとつの目安です。
なお、12月中旬から2月末までは積雪があり、クルマで登るのが困難な場合もあります。

宿泊する場合には、高梁国際ホテルが便利です。

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竹田城には天守が無いですが、備中・松山城には天守がありますので、またちがった幻想的な風景があることでしょう。
という事で、私も、一度は、姿を拝見したいと思いつつ、異なる時期でしたが今回は念の為下調べして、訪問してみました。

あと、国道313号線を西に約1km行きますと、山中鹿之助が処刑された場所となりますので、胴塚や墓もあります。

ちなみに、雲海が見られる可能性がある日本の城は他に、津和野城(島根県)、郡上八幡城(岐阜県)、有子山城(兵庫県)、黒井城(兵庫県)、利神城(兵庫県)、高取城(奈良県)、宇陀松山城(奈良県)、赤木城(三重県)などがあります。

駐車場の場所などは、当方のオリジナル地図にてわかるようにしてありますので、カーナビ代わりにもご活用頂けますと幸いです。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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