兵庫県

有子山城 山名氏の本拠地となる山名氏城跡

有子山城

有子山城(ありこやま-じょう)は、兵庫県豊岡市出石にある連郭式山城で、標高は321、比高310mと大変堅固です。
別名は、有子城、出石古城、山名氏城、高城とも言い、近くの此隅山城跡と合わせて「山名氏城跡」と言う名称にて国の史跡に指定されています。
また、出石城とともに続日本100名城にも選ばれています。
なお、続日本100名城としては、出石城・有子山城をひとつとして選定されていますが、当サイトでは別の城として、それぞれご紹介させて頂きます。





最初の築城は、戦国時代の1574年に、山名祐豊が築城しました。
山名氏はずっと、近くの此隅山城を本拠としていました。
しかし、永禄12年(1569年)に織田信長の命を受けた羽柴秀吉(豊臣秀吉)の攻撃を受けて落城します。

山名祐豊は堺へと逃れると商人の力を借りて、織田信長にも面会し、1570年に但馬に復帰します。
しかし、より高い防御性を求めて、新たに有子山城を築いたと言うことなります。
このとき、但馬・此隅山城の別名である子盗を嫌い、わざわざ城の名前を「有子」と名付けたと言われます。

有子山城

山名氏の分家である鳥取城と同じで、かなり高い山頂は詰の城となっており、山麓に居館が設けられました。
こうして、但馬に復帰した山名祐豊は尼子勝久らと、毛利家に抵抗しました。
しかし、竹田城や此隅山城は赤井忠家に奪われたため、織田家に頼むと明智光秀の軍勢が派遣されて、波多野秀治の八上城、荻野直正の黒井城などを攻撃しました。
ところが、重臣で竹田城主である太田垣輝延が、突然、毛利家の吉川元春に寝返ります。

怒った織田信長は、1580年にに羽柴秀吉を送って、有子山城を包囲したため、家督を譲られていた山名堯熙は降伏しました。
そして、開城後、山名祐豊は5日後に死去しています。享年70。

そのあと、羽柴秀長により石垣造りの詰城となり、木下昌利、続いて青木勘兵衛が城代を勤めました。
山頂部分は、豊臣時代の立派な石垣が残っていると言います。

有子山城

1585年、有子山城には、5万石で前野長康が入りましたが関白・豊臣秀次の処刑に連座して処刑されています。
この前野将右衛門の生涯を描いた小説として、遠藤周作の『男の一生』があります。

その後は、1595年、龍野城から小出吉政が入って統治しました。

有子山城

小出吉政(こいで-よしまさ)は、最初2万石でしたが、豊臣秀吉の縁者と言う事でのち9万石となっています。
関ヶ原の戦いでは、田辺城の戦いにも参じましたが、弟の小出秀家が名代として300にて小山評定後にも徳川家康に一環した忠義を示したため、西軍についた兄・小出吉政も6万石にて存続しています。
この東西に分かれた戦略は、真田家と同じように家名存続も考慮されていたとも言います。

小出吉政が隠居すると、1604年、跡を継いだ小出吉英(ひいで-よしひで)は、山麓の館および郭のみを出石城として再構築し、山頂部分の有子山城の部分を廃城にしたと、江戸幕府に届け出ました。

有子山城

有子山城への登城ですが、通常は、出石城の最上段にある稲荷曲輪の脇から登って行きます。

有子山城への登城

ただし、そこからは急坂の尾根道を登り、途中にはロープも張られている急登りで、岩場を登る場面もあります。
その出石城の有子山登山口から登り50分ほどで有子山城の本丸です。
結構な山城ですので、軽登山の装備があると良いですが、杖は借りられる模様です。

有子山城

比高310mは、これこそ、日本3大山城などに入るべきだと思う急峻な山城です。
今年は特に猛暑となった2018年であり、まだ暑さが残る9月と言う事で、無理はしませんでした。
冬に半袖になって登りたいところです。





なお、地図を見ますと、有子山城の東側に道路があります。
ただし、この道路は林道で、通常は入口が閉鎖されていますので、クルマは入れません。
しかし、人は入れますので、なだらかな道を行く場合には、時間は掛かりますが、こちらのほうがラクです。

交通アクセスですが、JR山陰本線の江原駅、または豊岡駅から全但バスの「出石」行きに乗車して終点下車。

有料駐車場は「大手前有料駐車場」「庁舎南有料駐車場」「西の丸有料駐車場」などです。
観光案内所では、縄張図も掲載されている「此隅山城」「有子山城」「出石城」パンフがあります。
もちろんですが、麓の出石城とセットでどうぞ。
続日本100名城のスタンプは、麓にある「いずし観光センター」に設置されているようです。

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中級者向け
旧国名
但馬
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登城は慎重に。




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