奈良県

宇陀松山城(続日本100名城) 多賀秀種と福島高晴

宇陀松山城

宇陀松山城(うだまつやまじょう)は、奈良県宇陀市にある山城で、秋山城、神楽岡城とも呼ばれます。
国の史跡になっている他、続日本100名城にも選ばれています。

最初の築城は不明ですが、南北朝時代には城として機能していたようです。
宇陀郡の有力国人・秋山氏が古城山に城を築いたとあります。
ただし、大和秋山城下城と呼ばれる方の中腹のピークを本丸にしていた可能性は残ります。





秋山氏は神戸社の神主で、のちに興福寺の被官となっていました。
南北朝時代には宇陀郡の沢氏と勢力を二分する力を持っており、北畠氏の家臣として宇陀三将の一人に数えられています。

また、秋山城下は、京都・奈良と伊勢をつなぐ伊勢本街道の要衝でした。
城は標高471m、比高120mほどの城山山頂に築かれています。

戦国時代になって天正13年(1585年)、豊臣秀長大和郡山城に入ると、筒井順慶らと大和勢力の追放を行っていますが、この時、秋山氏も追放されたようで宇陀から退去しました。

そのあと伊藤義之、加藤光泰、羽田正親、多賀秀種らが宇陀松山城主となっています。
織田信雄の代には、山の麓に秋山陣屋が築かれたともあります。

特に、宇陀松山城は大改修されたようで、脇坂安治の高取城とともに大和国支配の重要拠点となりました。
天守台も設けられましたようです。

宇陀松山城

多賀秀種(たが-ひでたね)は、佐和山城主となっていた堀秀政の弟で、2万石を有したようです。

慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで、多賀秀種は石田三成に協力して大津城攻めに参加したため、改易(所領没収)となります。
のち、大坂の陣では、前田利長のもとで活躍し、前田利常に6000石で召し抱えられています。

関ヶ原のあと、宇陀松山城には、福島正則の弟・福島高晴が、伊勢・長島城から3万石で移りました。

福島高晴の正室は村井貞勝の娘で、継室は村上水軍(来島水軍)である村上通康の娘です。

福島高晴(ふくしま-たかはる)は、更に宇陀松山城を改修したとも考えられます。
また、城下町の整備に取り組みましたが、城下町の街並みは、今でも色濃く残っており、現在、重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

ただし、大和宇陀松山藩主・福島高晴の行いは専横な振る舞いが多く、家臣が徳川家康に訴え出ます。
しかし、兄・福島正則の旧功もあったことから問題にはされませんでした。
とは言え、1615年、大坂の夏の陣では、豊臣秀頼への内通を疑われて改易となりました。
小堀遠州らによって城は破却さてれ廃城となっています。

改易後は道牛と号して出家し、伊勢山田にて蟄居・謹慎しましたが、生活は貧困を極めたと言います。
寛永10年(1633年)9月25日、赦免されることなく在所にて死去しました。

嫡子・福島正晴(福島高経)の子・福島忠政は、のちに500石を与えられて名跡が継いでいます。

福島氏のあとには、織田信長の次男・織田信雄の所領となりましたが、麓に秋山陣屋(長山屋敷)を構えました。
58歳になっていた織田信雄は、大坂城に味方しなかったのを評価されて大和国宇陀郡に3万石、上野国甘楽郡に2万石余りとなり大名に復帰した次第です。
松山西口関門が現存する陣屋門となります。

他にも現在の宇陀松山城跡には、廃城となった際の石垣下部や建物の礎石の一部が残されていると言います。

続100名城のスタンプは、まちづくりセンター千軒舎さんに設置されているようです。





今回は、数時間前に枚方市で大地震が発生したばかりでもあり、帰りの新幹線の時間が気になり、登城は断念しました。
今度、奈良に再訪した際には、是非、本丸まで登りたい城です。

交通アクセスですが、近鉄大阪線の榛原駅から路線バスで15分「大宇陀」バス停下車となります。
バス停は道の駅・宇陀路大宇陀にあり、道の駅から、登城口となる春日神社まで歩いて15分となります。

旧街道の春日神社から整備されている登山道で本丸までは約10分となります。
クルマの場合、道の駅・宇陀路大宇陀の駐車場が良いかも知れません。

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中級者向け
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大和
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駐車場が離れているようですが登山道などは整備されています。




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