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安祥城の解説【どうする家康】松平親忠・安祥城の戦い

安祥城

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安祥城

安祥城(あんじょうじょう) は、愛知県安城市安城町にある平山城で、別名は安祥森城、安條古城、森城、安城城。
最初の築城だが、西へ500mほどのところにある安城古城が古いようで平安時代末期とされる。
室町時代に足利幕府の奉公衆・畠山宗元が志貴荘の代官として赴任。
その後、畠山宗元の子孫は三河・和田氏を称し、1440年、和田親平がここでご紹介する安祥城を築城して本拠を移したと言う事になる。

安祥城

岩津城松平信光が三河・岡崎城を手に入れ、1471年頃、畠山加賀守が守備した安祥城も攻略。(安祥城を謀略によって奪取したとも)
松平信光は子供らを各地に分立させ、竹谷松平家、安祥松平家、形原松平家、岡崎松平家(大草松平家)、五井松平家(深溝松平家)、能見松平家、丸根松平家、牧内松平家、長沢松平家と言う分家ができた。
このうち、安祥城には安祥・松平家の初代となった3男・松平親忠が入ったと言うことになる。

松平親忠

常陸・小田氏と同様によくわかっていないところがあるため、年代などには諸説あることご理解願いたい。

松平親忠(まつだいら ちかただ)は、戦国時代初期の武将で1431年(1438年?)に松平信光の3男として生まれた。
母は正室・一色氏の娘?・真浄院殿。
<注釈> 三河守護は一色氏。
子に松平信光がいる。

1467年、第一次・井田野の戦いでは、松平信光と子の松平親忠が、尾張の品野(瀬戸市)・三河の伊保(豊田市)の兵と岡崎・井田野(いだの)で戦っている。
1471年頃、父・松平信光が安祥城を謀略によって奪取したともある。
1475年、松平親忠は愛知県岡崎市鴨田(かもだ)に大樹寺を建立し松平氏の菩提寺とした。
1489年頃に、父・松平信光が死去?したので出家して西忠と号したともある。


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1493年、松平親忠は豊田各地の豪族である三河・上野上村城の阿部孫次郎、三河・挙母城の中條出羽守、三河・寺部城の鈴木日向守、伊保城・三宅加賀守、八草城・那須宗左衛門らを打ち破った。

1501年、松平親忠は死去した。

その後、1508年8月、今川氏親の命を受けた伊勢宗瑞(北条早雲)が大樹寺を本陣にして岩津城を攻撃している。
この時、援軍として安祥城の松平長親(松平親忠の子)が井田野に進出し今川勢は撤退。
しかし、宗家とも受け取れる岩津・松平家は衰退し、松平親忠の子である松平親長が岩津・松平家を継承したとも考えられる。(諸説あり)
いずれにせよ、安祥・松平家が惣領に目されるようになった。

1523年頃、安城松平家6代当主・松平信忠は隠居となって、嫡男・松平清康が家督を譲渡されている。
この松平清康は、徳川家康の祖父にあたる。

1524年、松平清康は三河・岡崎城を取得し松平氏の拠点を岡崎に移した。
ただし、安祥城は維持されており、1535年、森山崩れで松平清康が家臣に殺害され松平信定が実権を握ると、10歳の松平広忠(徳川家康の父)は岡崎を追放されたため三河・東条城の吉良持広が保護し、三河・室城経由で伊勢に逃れた。

松平広忠は今川義元の助けも得て15歳の頃、岡崎城に再入城するも、三河の諸豪族は相次いで離反し、松平一族からも謀反が起こるなど松平氏は弱体化した。

安祥城の戦い

1540年、尾張・古渡城織田信秀が3000にて安祥城を攻略すると、織田信広に守備させている(第1次・安城合戦)
ただし、松平氏が奪い返したようで1544年8月、織田敏宗が大将となった攻撃したが落とせず、9月織田信秀が攻撃したので落城したとされる。(第2次・安城合戦?)
この時、織田勢に一人奮戦して討ち死にした「善恵坊の碑」などが安祥城跡にある。

1545年、岡崎城の松平広忠は安祥城奪還のため出陣。
しかし、織田勢の挟撃を受けて、本多忠豊が身代わりになるなどして岡崎へ敗走した。

1547年、織田勢の圧迫を受けていた松平広忠は今川義元に6歳の竹千代(徳川家康)を人質として出して助けを求め、松平家は今川氏に臣従する形となっている。
<注釈> 途中で三河・田原城の戸田康光が裏切り、竹千代は尾張の織田信秀に送られた。
1549年、松平広忠は病死。(家臣に暗殺されたとも)

1549年3月、太原雪斎など今川勢1万が、三河・山崎城を落として安祥城を攻め、落城寸前まで追い詰めたが織田勢が撃退。
その後、11月にも今川勢は攻撃して安祥城を落として織田信広を捕縛。
織田信秀のもとにいた竹千代と織田信広の捕虜交換が行われ、竹千代は駿府に送られた。


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今川義元は安祥城に天野景泰井伊直盛らを城番として守備させ、三河・岡崎城にも今川勢を配置している。

1560年、今川義元が桶狭間の戦いで討死し、織田信長と松平元康が清洲同盟を結ぶと、安祥城の価値は失われ1562年ごろ廃城になったとされる。

ただし、小牧・長久手の戦いの際には、臨時で兵が置かれた。

江戸時代に入ると安祥城の本丸跡には浄土宗の了雲院が創建され、現在に至っている。

安祥城

また、了雲院と八幡社のあいだに安祥城跡公園が整備されている。

訪問時はまだ16時であったが、冬の分厚い曇り空で日暮れが早く暗くて足元が見えないため、入口だけ撮影して退散した。
撮影したカメラはiPhoneなので写真は昼間のように明るく写っている。

交通アクセス

安祥城への行き方だが名鉄・西尾線の南安城駅から徒歩15分。
駐車場は公園にもあるが本丸に近い了雲院の駐車場入口を、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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