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古渡城 織田信長が元服した名古屋の城跡

古渡城

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尾張・古渡城(ふるわたりじょう)は、愛知県名古屋市中区にある平城です。

戦国時代の1533年、織田信秀織田信長の父)は、那古野城を奪って今川氏豊を追放します。
その翌年の1534年、今川家や岡崎城主・松平清康からの反撃に備えて、築城したのが古渡城となります。

四方を二重の堀で囲んでいたと言います。
大きさは東西約140m、南北約100mでした。

吉法師(織田信長)に那古野城を譲ると、織田信秀は勝幡城から移って古渡城を本拠としています。
織田信長が1546年に13歳で元服をしたのも、この古渡城と言われています。


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1548年(天文17年)に、織田信秀が美濃へ出陣しますが、その隙きを突いて尾張下四郡の守護代・織田信友の家臣である坂井大膳らが不在を突いて古渡城を攻撃しました。
ただし、城下町は消失するも、古渡城は落ちなかったようです。
しかし、再起は行わず、織田信秀は末森城を築くと、新たな居城としたため、古渡城はわずか14年で廃城となったようです。

古渡城は現在の東本願寺名古屋別院の辺りに築かれていました。

東本願寺名古屋別院

境内に、古渡城跡碑が建っています。
また、別院に隣接した下茶屋公園は、古渡城の堀跡であったとされます。

古渡城の堀跡

残念ながら、城の遺構はほとんど残っていませんが、名古屋城を築城した際には、使用する石垣の準備基地となったようです。
そのため、別院や下茶屋公園には、石垣が29個、残されているそうです。

古渡城

東本願寺の名古屋別院は、江戸時代の1690年に、尾張藩2代藩主・徳川光友が古渡城跡を寄進したものとなります。
太平洋戦争でのアメリカ軍の空襲にて建物は焼失したため、その後、再建されて今日に至っています。

東本願寺の名古屋別院

交通アクセスですが、名古屋市営地下鉄・名城線の東別院駅にて下車、4番出口から徒歩5分となります。
駐車場は、東本願寺名古屋別院の参拝者用の無料駐車場を利用させて頂きました。
当方のオリジナル地図にて駐車場入口がわかるようにしてあります。
古渡城址碑は、山門を入って左手奥にあります。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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