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牟礼砦の歴史解説~北条綱種(北条綱高・高橋綱種)が活躍した三鷹の城跡

牟礼砦

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牟礼砦とは

牟礼砦(むれとりで)は、東京都三鷹市牟礼にある丘城で、別名「牟礼の砦」とも書きます。
現在は、牟礼神明社になっていますが昔は高番山とも呼ばれていたようなので、多少の高地である地勢と言えます。

牟礼砦

最初の築城としては、下記の通りです。
戦国時代の1537年4月、扇谷・上杉朝興が河越城で亡くなると、まだ若い上杉朝定が家督を継ぎました。
そして、小田原城北条氏綱に対抗するため、難波田城主・難波田憲重深大寺城に入れて改修させ、北条氏に奪われていた江戸城を奪還しようとしました。


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対して北条氏綱は、江戸城にいた北条綱種(北条綱高・高橋将監綱種)に命じ、深大寺城から北東4kmにあるこの場所に砦を築いて牽制しました。
そのため、牟礼砦は北条綱種(北条綱高・高橋将監綱種)が築城したと言えます。

牟礼神明社の境内にある下記の石碑には、難波田勢を監視した時に立てた「旗かけの松」(旗掛けの松)の由来が記載されているようです。

旗かけの松

難波田勢は深大寺城から討って出れなくなり、その隙に北条氏綱は深大寺城を大きく迂回して河越城を直接攻撃。
上杉朝定は、武蔵・松山城に逃れました。

北条綱高とは

北条綱高(ほうじょう つなたか)は、高橋高種の子として1506年に生まれました。
父・高橋高種は、伊豆・雲見城(雲見上ノ山城)城主で堀越公方・足利政知に仕えていましたが、伊豆・韮山城北条早雲が入ると北条氏に招かれたようです。
そして、伊勢盛時の養女(外山豊前守の娘)が高橋高種に嫁いでおり、その子が高橋治部少輔綱高と言う事になります。
高橋高種は小田原城の奪取でも活躍したようですが、1515年に亡くなったため、まだ若かった高橋綱高は韮山城にて北条早雲に養育された模様です。
1519年に元服すると高橋将監太郎種政と称しました。

北条綱種

1524年、大道寺氏と共に江戸城を攻略して、上杉朝定を河越城に敗走させています。
北条氏康の代になると、北条治部少輔綱高と名を改めています。
その後、江戸城に入ると前述したとおり深大寺城の難波田善銀と武藏野牟礼にて対峙。
北条氏綱が河越城を攻略すると、難波田勢が撤退を開始したので、烏山砦にいた弟・高橋氏高と共に難波田勢を蹴散らして深大寺城を攻略したようです。
北条綱種(北条綱高・高橋綱種)は、北条勢の中でも最強の部類だったようで、北条五色備(ほうじょうごしきぞなえ)の赤備えを率いました。

北条綱種の妻は南条重長の妹で、1540年に北条康種(ほうじょう やすたね)が伊豆国田方郡南条にて生まれています。

そして、伯父・北条氏綱の猶子となり、北条常陸介綱種と名乗ると、一時、相模・玉縄城も守備したようです。
1546年には、上杉朝定、古河公方・足利晴氏の連合軍と河越城の戦い河越夜戦)にも参じています。

牟礼砦

1564年、第二次・国府台合戦にも参陣しましたが、その頃には子とされる北条康種に家督を譲っていた可能性があり、晩年の活動はあまり確認できないようです。
1585年10月12日、北条綱種(北条綱高・高橋綱種)は江戸城にて死去。享年80。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めにて北条氏直が降伏すると、子の北条康種は牟礼砦がある武州牟礼・中島に移住。
帰農したようで高橋姓に復したようです。

交通アクセス

牟礼砦への行き方ですが井の頭線・三鷹台駅から南西に約650m、徒歩10分の距離ですので電車でも便利です。


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駐車場ですが、通り沿いに有料駐車場タイムズがあるのが事前調査でわかったので、狙って入りました。
しかし「満車」でして、駐車場の中をバックしてバス通りに戻る羽目に・・。
どうしようかと、神社の脇にある坂道を登りましたら牟礼神明社の裏側に境内駐車場が5台ほどあるのを発見して、参拝がてら利用させて頂きました。(よかった)
止めるところに非常に苦労する東京で、無料駐車場があるのは本当にありがたいです。
ただし、トイレはありませんでした。
見学所要時間は5分~10分程度です。

境内の駐車場入口は当方のオリジナル関東地図にてポイントしています。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなりますが、道路が狭いので曲がる箇所も狭く大きなクルマは厳しいところもあります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。

成宗城からやってきて、次は島屋敷に向かいました。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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