東京都

成宗城の解説~東京都杉並区にある城跡・大橋成宗

成宗城

スポンサーリンク



成宗城とは

成宗城 (なりむね-じょう) は、東京都杉並区成田西にあり、別名は道灌塁とも書きます。
標高44mであり、善福寺川からだと若干の微高地のようですが平城(館跡)と言えます。
地元の伝承では、鎌倉時代に中野成宗(中野左衛門尉成宗)が砦と柵を築いて、鎌倉街道を監視したとされます。
新編武蔵風土記稿では、成宗と呼ばれる武士が築いた城館であり、戦国時代には扇谷上杉家の家宰・太田道灌が家臣を配置して守らせた城館とあります。


スポンサーリンク



一説によると、大橋成宗なる武将がいたようで、この大橋成宗は小田原北条氏に仕えていたともあります。
八王子城主である由井源蔵(北条氏照)の配下に、横江忠兵衛と大橋山城守がいますが、両人とも軒猿と記載されています。
軒猿(のきざる)と言うのは、諜報活動などを行う忍者とも言えるだろう。
北條氏康の御旗本四十八番将衆にも、大橋山城守の名があり、寄子20人を持ちで指物の合印は「に」でした。
小田原衆の大橋某の所領として「20貫文 無連・高井堂」と見えます。
1569年、武田信玄小田原城を包囲した際には、世田谷城主である吉良氏朝の配下に、大橋山城守、関加賀守の名があります。
この大橋山城守が、大橋成宗だとは断定できないが、同一人物か父と子などの可能性もあるでしょう。

実際に現地を訪れますと、すぐ南に善福寺川が流れており神田川に繋がっているため、水運・交通手段として使用していたと見て良いかと存じます。
また、旧。鎌倉街道が善福寺川を渡る箇所でもあるため、街道の抑えとしても機能させたのでしょう。
となると、恐らくは鎌倉時代には館などがあったと考えてよいかも知れません。

現在、成宗城跡には、共立女子学園研修センター杉並寮があり、フェンスで遮断され、もちろん無断での立入りは禁止です。
そのため、上記の通り道路から1枚だけ写真撮影させて頂きました。


スポンサーリンク



それにしても、この付近の道路は狭いところも多く、コインパーキングもありません。
近くの道路は、制限速度20km/hでした。
日本全国まわりますが、さすがに20km道路は見たことがありません。
カーナビを使っても、狭い道路をバスも通るのですれ違いが大変だったり、歩行者はいるし自転車も多いし、曲がり角が右折禁止(時間指定)だったりして、大きく迂回となり到着するのに非常に難儀しました。
もし、クルマで行くのであれば歩行者が少ない土日が良いでしょうが、もう2度と行くこともないと存じます。
電車の場合、東京メトロ丸ノ内線の南阿佐ヶ谷駅から徒歩10分くらいです。

次は牟礼砦に向かいました。

太田道灌の解説~忠義を貫いた扇谷上杉家の名将~伊勢原・太田道灌の首塚も
渋谷城 東京の渋谷駅近くにある古城跡 渋谷金王丸とは
世田谷城 奥州・吉良氏による東京の城跡
牟礼砦の歴史解説~北条綱種(北条綱高・高橋綱種)が活躍した三鷹の城跡
関東や東京の城跡などのオリジナル地図


スポンサーリンク



コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

城迷人たかだ

投稿者の記事一覧

高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

都道府県別


スポンサーリンク

只今人気のお城

城めぐり 2400城超えました

城めぐり
PAGE TOP