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住吉要害(山下長者屋敷)の歴史解説~伊勢宗瑞(北条早雲)相模平定の足掛かり

住吉要害




住吉要害とは

住吉要害(すみよしようがい)は、神奈川県平塚市山下にある平城で、標高は11mであり、ほとんど平城(館跡)と言って良いでしょう。
しかし、四方は3mくらいと、とても高い土塁で、囲まれていた防御陣地だったようです。
そのためか「要害」と言う漢字で表現されています。

住吉要害

この場所は、山下長者屋敷とも呼ばれています。
山下長者と呼ばれた山下氏は、鎌倉時代の人物だったようで、虎御前の庵が、山下長者屋敷のすぐ近くにあったと言う伝承があります。
この虎御前(とらごぜん)と言う女性は、曾我兄弟の仇討ちを描いた「曽我物語」に、大磯の虎女として登場します。
虎女の出自は、もちろん諸説ありますが、重須本・曽我物語によると、虎女の母は平塚の遊女・夜叉王とされ、1175年生まれともあります。
父は、宮内判官・家永(藤原基成の乳母の子)とあり、京から逃れて相模国海老名郷に住んでいたようです。





宮内氏の娘・虎女は平塚で生まれ、大磯の長者(山下長者屋敷)にて育ったとあります。
虎御石があり、虎女(虎御前)が開いたとされる大磯・延台寺の縁起では、山下長者の本名を、伏見大納言藤原実基卿としています。
山下長者屋敷には、伏見大納言・藤原実基が住んでいたともされるため、虎御前の父(養父?)は藤原実基の可能性もあります。
藤原実基は、40歳になっても、子宝に恵まれず、夫婦で、虎池弁財天に日夜願うと、虎の刻に女の子を授かったともあります。

そして、虎女は、遊女になったとあります。
なんどか当方では解説させて頂いておりますが、鎌倉時代頃の遊女と言うのは、夜の宴会などで、芸や歌を披露する女性と言う意味になります。
芸を披露する教養も必要な事から、村の貧しい娘が武家や公家相手の遊女になると言う事は、あまり考えられず、武家など身元がハッキリしている娘が、武士の宴会などで接待役(遊女)と呼ばれるケースがほとんどです。
旅の途中に宿泊した際に宴会に遊女が来たりしますので、有名な鎌倉御家人には、遊女に産ませた子も、結構、見受けられます。
例えば、源義朝の6男・源範頼の母は、遠江・池田宿の遊女とされます。
白拍子も、遊女に近い存在と言えますが、白拍子は武家の出ではないことが多いように感じます。





なお、母が遊女でも、別に、恥ずかしい事ではない時代ですので、家系図にも、母は遊女だと、載せていると考えられます。
下記は、虎女住庵の跡ですが、古い五輪塔がたくさん集まっています。
奥が住吉要害の内部で、写真では、北側から見た感じです。

虎女住庵の跡

1440年、結城合戦の際に、小田原城の大森憲頼が、結城市に呼応して挙兵します。
そのため、室町幕府側の今川範忠と上杉持朝が、高麗寺の「下」に陣を敷いたと、鎌倉大草子にありますが、その場所が、山下長者屋敷(住吉要害)とも考えられます。

戦国時代になり、大地震の混乱に乗じて、小田原城に入った伊勢宗瑞(北条早雲)は、相模国平定に乗り出します。
1510年6月、扇谷・上杉定正の家臣で、相模守護代の上田政盛を調略していましたが、露見したようです。
そのため、上田政盛は武蔵・権現山城にて挙兵しました。
扇谷上杉家の上杉朝良と、山内上杉家の上杉憲房が、武蔵・権現山城を包囲したので、援軍として、伊勢宗瑞(北条早雲)は、1510年7月、高麗山城や、住吉城郭と言う古城を改修して、後方からの攻撃態勢を取ったようです。
山下長者屋敷の背後に、高麗山城があることからも、この住吉城郭は、住吉要害の場所(山下長者屋敷)だと考えられます。
大規模な土塁は、かつて伊勢宗瑞が城主だった、興国寺城の土塁を思わせるような雰囲気を感じます。

住吉要害

なお、武蔵・権現山城は陥落してしまい、上田政盛は討死したとも、上田正忠ら一族は、伊勢宗瑞の許に逃れたともされます。

1512年8月、伊勢宗瑞(北条早雲)は、相模・岡崎城を攻略しますが、このとき、扇谷上杉家傘下の三浦義同(三浦道寸)が逃れた住吉城は、三浦半島の入口、小坪の住吉城(相模・住吉城)のほうになりますので、混同しないよう、注意が必要です。
その逗子の住吉城と区別するためにも、平塚の住吉城は「住吉要害」と言う字を引き続き使用させて頂きます。
ただし、高麗寺山城が、住吉要害とする場合もありますので、平地の山下長者屋敷跡が、住吉要害だったとも断定ができないところです。
ちなみに、逗子の住吉城には、三浦義同(三浦道寸)の弟・三浦道香が残り、三浦道寸は、相模・荒井城へと撤退しています。
また、北條早雲は、上杉朝長の大庭城も落とし、三浦半島を攻めるため、玉縄城を築きました。

1561年、春日山城上杉謙信が関東に遠征し、小田原城を包囲しますが、甲陽軍艦によると、上杉勢は「高麗山のふもと、山下と云所に陣を取」とあり、一時的に、住吉要害を利用した可能性があります。





南側にある大きな土塁脇には、山下長者屋敷を示す案内板もあります。
北側にある東光寺・観音堂と、南の土塁とを囲んだ、四角の中が、山下長者屋敷(住吉要害)だったようで、内部は、民家6軒になっているため、見学はできません。
見どころとしては、東光寺・観音堂と、その脇にある虎御前の庵跡と伝わる地の五輪塔群、そして、南の土塁と山下長者屋敷の案内板と言う事になります。
見学所要時間は10分もあれば充分です。

交通アクセス

バスの場合、JR平塚駅の北口から「平35」系統の湘南平行きに乗車して所要12分、下万田バス停下車して、130m、徒歩2分ほどです。
問題なのは駐車場が付近にありません。
道路も狭めなので、ご注意を。
場所は、当方のオリジナル地図でもポイントしております。
今回は寄りませんでしたが、高麗山城や、平塚城、公所堀ノ内屋敷とセットでどうぞ。

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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