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公所堀ノ内屋敷(公所ほんの内屋敷)のちょこっと解説~端山氏の屋敷

公所堀ノ内屋敷(公所ほんの内屋敷)

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公所堀ノ内屋敷とは

公所堀ノ内屋敷は、公所ほんの内屋敷(ぐそほんのうちやしき)とも言う平城。
場所は神奈川県平塚市公所だが完全に民家(端山家)になっているため、立入りはできない。
最初の築城は不明だが、戦国時代小田原城の北条氏の家臣・端山氏の屋敷があったとされる。
その端山氏に関しても不明と言えるが、伊勢新九郎(北条早雲)が伊豆・韮山城にいた頃から仕えていた、重臣・山角氏の一族ともされる。


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余談だが「堀の内」と言う地名があるところは、ほぼ、武士の屋敷があったと言えるため、武将がいたと言うのは間違いないと考える。

ただ、城名が「屋敷」と言う事なので、防御性もあまりなく、この土地を管理した者、すなわち「代官」の屋敷であったと考えて良いかも?知れない。
なお、小高い台地上にあり、水田地帯より標高が高いので水害がないなど、住みやすかったことは伺える。

公所堀ノ内屋敷(公所ほんの内屋敷)

山角氏と言えば、1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際に、小田原城で籠城していた山角康定を、徳川家康の重臣・井伊直政は「敵ながらあっぱれな武士」と賞賛されている。

北条氏の支配において、公所(ぐそ)は相模・田原城主である大藤秀信の所領だった可能性もある。
山角康定の娘が、大藤秀信の正室にもなっているので、端山氏は代官のような立場で公所(ぐそ)にいたのかも?知れない。
ただ、端山家の古文書は焼失しており詳しいことがわからないと言う。
この平塚はともかく、日本の場合、火災で多くの貴重な史料が失われてきたが、特に太平洋戦争の空襲で、多くの史料が失われたのが歴史の調査に大きく響いている。


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さて、大藤秀信は、武田信玄北条氏政が同盟を結んだ翌年、武田勢が二俣城を攻撃すると北条家からの援軍として、1572年の二俣城の戦いに参加したが討死している。

公所堀ノ内屋敷がある場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂ける。
お気をつけて訪問して頂きたい。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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