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大庭城の解説【大庭景親】とは~舟地蔵伝説「鎌倉殿の13人」

大庭城

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大庭城とは

大庭城(おおばじょう)は、 神奈川県藤沢市大庭字城山にある標高43m、比高33mの平山城で、大場山城、本郷城とも呼ばれます。
平安時代の末期である1105年頃、この辺りは鎌倉景政が荘園開発して、1116年に伊勢神宮に寄進した「大庭御厨」(おおばみくりや)と呼ばれる地でした。
子の鎌倉景継は、1134年に大庭御厨下司としての記録があり、大庭景継を称して、大庭氏が始まりました。
下司(げし、げす)と言うのは荘園の実務責任者と言う意味で、大庭景継の場合には伊勢神宮から管理を託されたと言う事になります。
元々の下司(げす)は身分が低い者と言う意味であり「げすの極み」と言う言葉の語源にも使われますが、朝廷や伊勢神宮から見た当時の武家はそのような身分だったのでしょう。


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大庭景親

大庭城(大庭の舘)を築いたのは大庭景宗とされ、横山党・横山隆兼?の娘が嫁いで、子の大庭景義、大庭景親、豊田景俊、大庭景親、俣野景久らが誕生しています。

1180年に源頼朝が挙兵した際には、兄・大庭景義(おおば-かげよし)は源頼朝に協力しますが、弟・大庭景親(おおば-かげちか)と俣野景久は、渋谷重国、糟屋盛久、熊谷直実ら平家側として石橋山の戦いにて源頼朝を撃破しました。
ちなみに、福原の平清盛へ、源頼朝が挙兵したと報せる早馬を出したのも大庭景親です。
そして、逃れた源頼朝を捕縛するべく、大庭景親は湯河原の山中をくまなく捜索しますかが、梶原景時が源頼朝の居場所を知りながら、大庭景親らを別の場所へと導いたために取り逃がしてしまいます。

房総にて再起した源頼朝には、千葉常胤上総広常豊島清元、葛西清重、足立遠元河越重頼、江戸重長、畠山重忠らが加わり2万を超える大軍となります。
そのため、大庭景親はもはや為す術もなく、大庭一族のほとんどは筑前の別の領地に逃れています。
大庭景親は最後まで残り、平維盛の討伐軍が駿河に入ると合流しますが、富士川の戦いで平家が敗れます。
遂に降伏して捕えられた大庭景親は上総広常に預けられますが、この時、源頼朝は兄・大庭景義に「助命するか?」と打診したとされます。
しかし、兄・大庭景義は、全てを源頼朝の裁断に任せたと言い、大庭景親は境川にて斬首されました。

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、大庭景親を俳優の國村隼さんが演じられます。


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このようにして、源頼朝の挙兵に早くから参じた兄・大庭景義は鎌倉幕府の御家人となり、長老格として長寿を全うしています。

大庭景義の子・大庭景兼(大庭小次郎景兼)は、1213年の和田合戦の影響で失脚したともされ、消息が不明となっています。

大庭城

その後、太田道灌が大庭城の改修をおこなったとされ、相模平定を目指す北条早雲が大庭城を攻撃します。
1512年頃、住吉要害高麗山城を攻略した北条早雲は、上杉朝長の大庭城も落としました。

舟地蔵伝説

大庭城の周辺は、沼地になっており、北条早雲(北條早雲)は当初大庭城の攻撃が困難だったと言います。
今でも大庭城の麓に流れる引地川の川岸は「親水公園」となっており、湿性植物園もあります。

この大庭城攻めの際に、北條家の武将が近くの稲荷で「ぼた餅」を売っていた老婆に、どうしたものかと尋ねると「引地川の堤防を切れば、沼の水は引く」と快く教えてくれたと言います。

この武将はさっそく、工事に取り掛かろうとしますが、堤防を切ることが大庭城に知られるのを恐れ、この親切な老婆を切り捨ててしまいました。
その後、老婆の供養の為に設けられたとされるのが「舟地蔵」で、地蔵さまが船の上に乗っている地蔵となっています。

舟地蔵伝説

写真は大庭橋付近(舟地蔵の信号)にある舟地蔵です。

大庭城を手に入れた北条早雲は、大庭城を大改修します。
この時の姿が、現在の大庭城の縄張りと推定されていますが、その後、大船の玉縄城を築くと大庭城は価値を失いますが、北条氏康(北條氏康)の時代の大庭城主は、北条綱成の弟に福島勝広(福島伊賀守、北条綱房)です。
1590年、豊臣秀吉小田原攻め以降は廃城となりました。

さて、大庭城址公園の駐車場車を止めて、公園にはいきなりはいらず、まずは南西の舟地蔵がある方の登城口から大庭城に登ってみる事にしました。

大庭城の入口

平山城ですので、坂道もそんなに急では無く、楽しみながら登れます。

大庭城

何?神社かはわかりませんでしたが「社」(やしろ)もありました。

大庭城の神社

緩やかな坂を登っていくと、先端の郭にでます。

大庭城

一番先端の郭は、堀切で分かれていたようです。

大庭城の堀切

平たい本郭に出ますと、大庭城の石碑がありました。

大庭城

大庭城にて発掘された建物の柱跡もあります。

大庭城の建物跡

この程度かなとあまり期待していなかったのですが・・。

大庭城

二の丸付近には素晴らしい空堀がありました。

大庭城の堀

「からぼり」と存在を示す案内もあります。

大庭城

写真では迫力も半減してしまうのですが、かなりの空堀です。

大庭城の空堀

攻めて来る敵を弓矢で射るのには、ちょうど良い規模の空堀と土塁になっています。

大庭城の空堀

ただし、鉄砲の飛距離だと、堀の大きさが短すぎますので、やはり戦国初期の造りのように感じます。

大庭城

意外と見どころがあった大庭城でして、もっと早く訪れていればよかったと思いました。

大庭城の空堀

空堀はその長さも深さも結構ありました。

大庭城からの眺め

上記は、大庭城址公園の北側から撮影した眺めです。
公園内にはトイレもあり、結構、散策や運動されている市民がおられました。
見学所要時間は約30分くらいです。

交通アクセス

大庭城(大庭城公園)への行き方ですが、最寄り駅は小田急・江ノ島線の善行駅で、西口から2.7km、徒歩40分くらいの距離です。
無料の公園駐車場が完備されていますが、オープンしているのは朝9時から夕方4時~5時頃までとなります。

駐車場の場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしております。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けると幸いです。

藤沢には源義経関連の史跡もまとまっていますので、セットでどうぞ。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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