茨城県

駒城(駒館) 藤原実寛

駒城(駒館)




駒館(こま-やかた)は、茨城県下妻市黒駒字奥内にある平城で、駒楯城、駒城とも書きます。
最初の築城としては、一般的に、南北朝時代で、藤原実寛(中御門少将藤原実寛)が築いたとされます。
ただし、藤原実寛は、中御門少将と言うことでもわかるように、藤原道長を祖とする藤原北家中御門流の公家と言って良いです。
恐らくは、北畠親房春日顕国興良親王らと共に、吉野から関東にやってきた南朝側の武将と推測されるのですが、藤原実寛に関しての実態はよくわかりません。
そのため、駒城(駒館)は、もともと、在地武将の館があったと考えるのが妥当のような気が致します。

北畠親房は、南朝に味方した常陸・小田城に春日顕国や興良親王と入りました。
同様に、藤原実寛が入ったのが、駒城(駒館・駒楯城)と言う事だったのでしょう。

駒城(駒館)

北朝勢の足利尊氏は高師冬を関東に派遣して、南朝勢を攻略させます。
常陸・関城は、難攻不落だったため、まずは、1339年に駒城が攻撃を受けたようです。
10月から11月にかけて攻防戦となり、藤原実寛はよく奮戦して守りました。





1340年1月には、小田城から春日顕国、常陸・関城からは関宗祐が、駒城に援軍として駆けつけています。
しかし、1340年5月27日、高師冬の夜襲によって駒城は落城しました。
ただし、すぐに藤原勢が駒城を奪い返したようで、高師冬は山川城に撤退したとあります。

その後、高師冬は瓜連城(遠いのでほんとかいな?)にて軍事力の増強を行い、1341年、常陸・小田城の小田治久を北朝に屈服させました。
※高師冬が瓜連城に行ったとしたら、羽黒山城にいた春日顕国を攻撃していた可能性もあります。

そのため、小田城にいた北畠親房は南朝方の関宗祐・関宗政親子が拠る常陸・関城に入り、春日顕国は小山氏の一族・下妻政泰が拠る大宝城に興良親王を奉じて移りました。





その後、高師冬は関城と大宝城へと攻撃を2年続けています。
ところが、駒城の存在は無視されたかのように、その後、登場しません。
恐らくは、駒城は1340年に陥落した時点で、高師冬に降伏したのか、落城したものと推測されます。
藤原実寛(ふじわら-の-さねひろ)は生け捕りにされたとも言われていますが、どのような武将だったのか、まったく不明です。
北朝勢との合戦があった割には、駒城じたい、南朝方の関東六城(常陸・関城、常陸・真壁城、常陸・大宝城、常陸・伊佐城、常陸・中郡城、下野・西明寺城)にも含まれていません。
当方のオリジナル関東地図にて、案内板がある場所をポイントしておきます。

常陸・関城の解説  関城・大宝城の戦い
北畠親房 神皇正統記を遺した南朝の重鎮
常陸・小田城は防御力が弱かった?
羽黒山城の解説 春日顕国
足利尊氏~人望で逆境に打ち勝った室町幕府の創始者~
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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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