群馬県

上野・深沢城(神梅城・阿久沢城) 阿久沢道伴の本拠地

上野・深沢城




上野・深沢城(ふかざわ-じょう)は、群馬県桐生市黒保根町宿廻にある標高362m、比高60mの崖端城(丘城)となります。
別名と申しましょうか、神梅城、阿久沢城として表記されることも多いですが、城宿廻としてしては少ないようです。
山間の傾斜が平坦になる箇所が集落で、そのちょっと1段下がった「下」に本丸があり、その本丸の脇が崖となっているようです。
広さがある二の丸や集落のほうが、本丸より高い位置にあるので、構造的には珍しいと思います。
そのため、事前に、崖下が本丸だと、理解していないと、どこが城跡か、わかりません。
ただし、深沢城と申しますと、駿河・深沢城が有名ですので、間違えないように注意が必要です。





上野・深沢城(神梅城)の城主としては阿久沢氏(あくさわ-し)で、苗ヶ島、黒保根、宿廻などを所領としていました。
なんでも平安時代後期の1051年から、源義家が陸奥の討伐を行った前九年の役にて、捕虜となった安倍宗任らの家来を、京都に連行する途中、たくさんは連れて行けないと言う事で、愛久沢(あくざわ)氏と松島氏の一族らをここに置いて行ったため、そのまま土着したと言う言い伝えがあります。
ただ、このような話はたいてい作り話ですので、恐らくは違うでしょう。

上野・神梅城

源氏である足利氏の支族に桃井氏(もものいうじ)がおり、上野・桃井城のあたりを治めていましたが、その桃井一族は、前橋の阿久沢氏などを輩出していますので、その系統だと推測するのが妥当です。
なお、桃井氏は、足利一門として日本全国に散らばっており、足利尊氏に従って活躍した桃井直常がいます。
桃井直常は越中守護を任じられましたが、足利尊氏が、弟・足利直義と対立すると、桃井直常は足利直義に味方しました。
そして、秘かに赤城山麓に戻ると、関東の足利尊氏勢と戦っていますので、もともと赤城山の山麓が領地だったことが伺えます。

阿久沢城

ただし、防御性もある上野・深沢城(神梅城・阿久沢城)に関しては、戦国時代に入ってから、阿久沢氏が整備したと考えられます。
1574年に、上杉謙信が関東に入ると、阿久沢左馬助は降伏しました。
しかし、この降伏を疑った上杉謙信は、家臣を神梅城に残したとされます。





1579年には、上野・金山城の由良国繁が深沢城も支配しましたが、小田原城主の北条氏直が上野へ進出すると、阿久沢氏は北条家に従い、由良氏が守る五覧田城を攻略しました。
その後、阿久沢道伴(阿久沢能登守道伴)が五覧田城の改修工事を行っています。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際、神梅館主・阿久沢道伴が、約40名と共に小田原城にて籠城に参加したとあります。

正圓寺

北条氏直が降伏すると、阿久沢氏は帰農し、上野・深沢城の麓にある神梅(かんばい)に退去しました。
そして、城跡に正圓寺を建立したと言い、下記のように阿久沢氏の代々の墓(阿久沢氏累代の墓)があります。

阿久沢氏累代の墓

上野・深沢城(神梅城・阿久沢城)への交通アクセスですが、わたらせ渓谷鐵道の本宿駅(もとじゅくえき)から約1.6kmですが、ずっと坂道を登って行く感じですので、徒歩40分ほどかかるかと存じます。
円寺前の前に、10台くらいの駐車スペースがありますので、拝借できますが、終始、お寺さんの「ワンちゃん」に吠えられまくりでした。

阿久沢城の駐車場

上記の阿久沢城の駐車場の崖下が本丸となります。
駐車場の場所は当方のオリジナル地図にてポイントしてあります。
山間で道がわかりにくいですので、カーナビ代わりにご活用頂けますと幸いです。

このあとは予定外でしたが五覧田城へ向かいました。
しかし、桐生市とみどり市の、市の境ですが、なんでこんなことになっているのでしょう?

高津戸城とは 高津戸渓谷を見下ろす大間々の山城
五覧田城とは
大胡城 赤城山麓の一大拠点に残る立派な堀
女渕城 赤城山麓の歴史ある城跡
毒島城 毒を盛って大蛇を退治し攻略した群馬の城
上野・伊勢崎城(赤石城) 寂しくなってしまった城跡





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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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