群馬県

毒島城 毒を盛って大蛇を退治し攻略した群馬の城

毒島城

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毒島城とは

毒島城(ぶすじま-じょう)は、伊勢崎市赤堀今井町にある、比高10mほどの丘城です。
現在、城跡の周りは田んぼになっていますが、地形からして、昔は湿地帯・沼地に囲まれていたことを想像するのは難しくありません。
漢字で書きますと「毒」と言う字が入っていますが、城の周りを囲っていた沼に「大蛇」がいたそうで、そのヘビが邪魔して城を攻撃できなかったそうです。
そのため、ブスという植物(トリカブト)の毒を作って、大蛇をを退散させたと言う伝説があり、その毒を作るために現地に設置された7つの臼のうち、4つの臼が毒島城跡の北西400mほどの位置に昭和の始めまであったそうです。


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最初の築城者や築城年代は不明ですが、鎌倉時代はじめ、青木入道が毒島城主だったと言います。
その頃、上野・赤石城の三浦謙庭(三浦河内守謙庭)が、毒島城を攻撃しており、その時に、抵抗したのが「大蛇」と言うことになっています。
皆様、御承知のとおり現実的に大蛇はあり得ませんので、恐らくは守備口のひとつに、大きな蛇のように大暴れしていた勇猛な武将がいたのでしょう。
そのため、三浦謙庭はその大蛇武将を毒殺して、城攻めを有利に行ったと言う事になるかと存じます。

時は流れて戦国時代には、青木長綱(毒島勘解由長綱)と言う武将が毒島城主でした。
桐生助綱に攻められて降伏したのか?、それとも他勢力に負けて桐生助綱を頼ったのか、桐生氏の家臣に加わったようで、城を出て、広沢寄居とあります。

毒島城

この広沢寄居と言うのは、広沢に寄居したと言う事です。
寄居(キキョ)と言うのは、他人の家に一時身を寄せる意味ですので、すなわち、群馬県桐生市広沢町にある現在の大雄院にて、世話になったと言う事が言えるでしょう。
もともと、先祖伝来の地を簡単に離れませんので、桐生氏の家臣になったと言うよりは、頼って客将になった可能性が高いと存じます。

毒島城

あまり否定的なことばかり記載しますと、群馬の皆様に怒られそうですが、毒島城じたい「古墳」を改良した城のようにみえてしかたありません。
実際問題、付近には、赤堀茶臼山古墳などがあり、古墳群が多いところです。
古墳があると言う事は、昔から、大変豊かな土地だったと言えますが、毒島城を詳しく調査すれば、石棺が出るかもしれません。

毒島城

なお、毒を使った三浦謙庭は、毒島城を攻略した際に、城の周りの水を抜いて、戸板を敷いて道にして攻めたともあります。
以上のことから総合的に推測しますと、毒島城は、墳丘を改良した城である可能性があり、防御のために水を蓄えて、島のような城にしていた。
強い猛者を毒殺し、堰を切って水を抜き、攻略した可能性があると言えるでしょう。

いずれにせよ、非常に興味深い城跡です。

毒島城の案内板が大手ですが、場所がわかりにくいので、当方のオリジナル地図にてポイントしてあります。
最後の道は「あぜ道」ですので、Googleマップでは掲載されていませんが、南側から侵入でき、他にクルマがいなければ、案内板のところで方向転換して戻って来れます。
ただし、大型の普通車は、戻ってくるのが困難ですので、小型車までがお勧めです。


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当然ですが、農作業をされている地元の方がおられましたら、作業の妨げにもなりますので、城への侵入は自粛して頂けますと幸いに存じます。

このあとは、女渕城に向かいました。

上野・伊勢崎城(赤石城) 寂しくなってしまった城跡
女渕城 赤城山麓の歴史ある城跡
日本全国の城跡マップ


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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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