群馬県

上野・今村城 那波宗俊 那波顕宗

上野・今村城

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上野・今村城(いまむら-じょう)は、群馬県伊勢崎市稲荷町にある平城です。
別名は稲荷山城と言いますが、周辺に丘や山はなく、田んぼから1段高いくらいの平城です。
古墳利用した城のため、その古墳に稲荷が設置されたことから、を稲荷山と呼んでいたのでしょう。

最初の築城は不詳ですが、佐位郡・那波郡を支配した那波宗俊が、1477年より前に築いたと伝わります。


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那波氏(なわし)は現在の伊勢崎を根拠とした国人で、藤原秀郷系と大江氏系の2流があり、藤原秀郷の子孫で佐貫成綱の子・佐貫季弘を祖とします。
その後、鎌倉時代からは大江広元の子である大江宗元(大江政弘)を祖とする系統になります。
赤石城(伊勢崎城)、那波城(堀口城)も知られており、戦国時代には山内上杉氏の被官になっていました。

那波宗俊(なわ-むねとし)は、1541年に、深谷・上杉憲賢、足利・長尾氏、厩橋の長野賢忠、武蔵・忍城の成田長泰、下野の佐野昌綱と共に新田金山城の横瀬氏を攻めましたが敗退しています。
この上野・金山城の戦いにて、那波宗俊は討死し、弟・那波宗元が家督を継承したとも伝わりますが、まだ存命との話もあります。
小田原城の北条家が上野にも進出してくると、北条氏に寝返り、もとの主家である山内上杉家を攻めました。
そして、那波宗俊は由良成繁ら周辺の国人から攻撃を受け弱体化し、由良氏の勢力拡大により、上野の北部にて北条家に抵抗を続けていた関東管領上杉憲政も、越後・春日山城長尾景虎を頼って逃れました。


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1560年、長尾景虎(上杉謙信)が関東に侵攻すると、那波宗俊の赤石城と那波城は陥落します。
この時、那波宗俊は、嫡男・那波顕宗厩橋城に人質として差し出しましたが、北条氏に臣従していたとみなされ、所領を失い、那波宗俊は没したとあります。

那波顕宗(なわ-あきむね)は、1548年生まれで、のちに正室として北条高広の娘を迎えます。

那波氏の所領は、上杉謙信から由良成繁に与えられていましたが、1574年、由良氏も北条氏に寝返ります。
そのため、上杉勢の支配下にあった上野・今村城に那波顕宗(那波駿河守顕宗)を復帰させ、赤石城など由良氏の金山城攻撃の拠点となりました。

上野・今村城

念のため記載しますが、北条高広は越後・北条城主で、もともと上杉家の重臣であり、小田原北条氏の家臣ではありません。
その北条高広は、上杉謙信から前橋城に入るように命を受けて、関東の政治・軍事を任されると言う、優秀な武将でした。

しかし、上杉謙信が没し、御館の乱になると、義父で厩橋城主の北条高広とともに、北条三郎(上杉景虎)を支援しますが、家督争いに失敗します。
その後、手薄になった上野には武田勝頼の手が伸びたため、那波顕宗は武田家に臣従しました。
その武田勝頼も天目山の戦いで自刃すると、箕輪城に入った織田勢の滝川一益に従います。

しかし、明智光秀本能寺の変のあと、滝川一益が尾張に戻ると、義父・北条高広とは異なり、北条氏直に鞍替えしました。
そのため、1583年8月、北条高広から攻撃を受けた那波顕宗でしたが、撃退に成功したようです。
恐らくは、箕輪城を押さえた北条氏邦などが厩橋城も攻撃に出ていたため、北条高広が小田原の北条氏に降伏したこともあったのでしょう。

上野・今村城

1584年、由良国繁を騙した小田原北条氏が上野・金山城を攻めた隙を突いて、那波顕宗が今村城を奪還したともありますので、城は失っていたのかも知れません。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際、今村城や那波顕宗の記録は残っていませんが、恐らくは周辺の国人同様に小田原城の籠城に加わったことでしょう。
今村城も開城降伏したようで、その後、那波顕宗は所領を失い上杉景勝を頼りました。
しかし、1590年10月、仙北一揆(九戸政実の乱)の鎮圧に上杉勢として参陣した際に討死し、那波氏は滅亡したようです。

次男は上杉家の重臣・安田能元の養子になっており、安田俊広と称し、江戸時代に入ると重臣として活躍しました。
安田能元は、同じ大江一族です。


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上野・今村城がある場所ですが、当方のオリジナル地図にて、案内板があるところをポイントしてあります。
目立った遺構はありませんが、たんぼより少し高い場所になっています。
見学には、私有地に入らないように、ご注意願います。

なお、今村城と言う名の城跡は、三河・今村城、尾張・今村城、近江・今村城、肥後・今村城、美濃・今村城に至っては可児市と安八郡今村の2箇所もありますので、混同しないように注意が必要です。

このあとは上野・伊勢崎城に向かいました。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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