上野・小泉城(こいずみじょう)は群馬県邑楽郡大泉町にある標高33m地点の平城で、別名は富岡城とも言います。
最初の築城としては、1489年に、富岡直光(富岡主税介直光)が築いたとされます。
この富岡直光は、元の名を結城持光と言い、結城城主・結城持朝の子であったとします。
父・結城持朝は、関東管領・上杉憲実によって滅ぼされた鎌倉公方・足利持氏に味方しており、1440年、足利持氏の遺児である春王丸・安王丸の兄弟を擁立して放棄します。
こうして、1441年、結城合戦となり、上杉清方・今川範忠・小笠原政康ら室町幕府の軍勢が結城城を落とし、結城氏朝・結城持朝は討死しました。
しかし、結城家の家系図には、結城持光(富岡直光)と言う名前は直接見受けられず、不明瞭です。
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その後、室町幕府の第6代将軍・足利義教が暗殺されると、亡き足利持氏の子である足利成氏が、5代・鎌倉公方となって、1449年頃に鎌倉府へ復活し、関東管領には山内上杉家の上杉憲忠が就任しました。
そして、結城城には結城成朝が復活しています。
その鎌倉公方・足利成氏は、1454年に関東管領・上杉憲忠を暗殺したことから、上杉家と対立し、1455年からは古河城に本拠を移すと、初代の古河公方となりました。
それから約35年たって、富岡直光が、足利成氏から所領を与えられたと言う事になりますが、もし、父・結城持朝が死去した1441年に生まれていたら、49歳前後の1489年と、だいぶあとで小泉城主になったと言えます。
よって、結城持朝の子と言うのは間違えの可能性が高く、富岡家譜にあるとおり、結城氏朝の弟である結城久朝の子と考えられます。
結城久朝(結城八郎久朝)は、結城合戦で討ち死にしています。
その子・結城持光は、乳母に抱かれて結城氏の領地があった上州・西之山入琴辻に逃れ、永享元年(1429年)、将軍・足利義政によって上野国甘楽郡富岡郷を与えられたともあります。
となりますと、結城合戦があった1441年より、もっと古い1429年に富岡城に入ったことになりますので、また年代が合わなくなりますが、いずれにせよ、結城氏の一族と伝わる富岡主税助直光は、古河公方・足利政氏に仕えました。
1560年、越後の長尾景虎が、関東管領・上杉憲政を擁して関東に出兵すると、館林城に長尾当長が入り、富岡氏も上杉謙信に従います。
富岡秀信(富岡主税助秀信)は、上杉謙信から受けた書状がたくさん残っています。
しかし、武田信玄が箕輪城を落としてからは、富岡秀親が小田原城の北条家に従っており、横瀬成繁に奪われていた佐貫庄上郷五郷の回復を図ったようです。
1570年頃、忍城主・成田氏長と戦って、富岡秀親が討死すると、子がいなかったようで、下野・祇園城主である小山高朝の次男・小山重朝に、富岡氏の家督が託されました。
小山重朝は、小泉城に入ると富岡秀高(とみおか-ひでたか)と改名し、小田原城の北条氏政からもお祝いされています。
上杉謙信が死去し、1578年、越後で御館の乱になると、富岡秀高は、北条氏邦に従って、上杉景虎の救援を試み、1580年には駿河まで参じると武田勝頼の軍勢と戦っています。
1582年、武田家が滅び滝川一益が関東管領になり、本能寺の変のあと、北条氏直との神通川の戦いで、富岡秀高はどちらにも参じておらず、北条氏から反感を買いましたが、一貫して北条氏に従いました。
そして、長尾顕長と、上野金山城主である由良国繁が北条家に従い、佐竹義重、佐野宗綱らが小泉城を何度も攻撃しましたが、富岡秀高はすべて撃退したことから、富岡秀高と子の富岡秀長・富岡氏高は、北条氏直より感状を受け取っています。
1590年、豊臣秀吉の小田原攻めの際には、北条家の要請に従って、小田原城にて籠城します。
留守の小泉城は、浅野長政・前田孫四郎らの兵に囲まれて降伏開城し、富岡氏は所領を失いました。
現在、小泉城は城之内公園として整備・保存されています。
恐らく、北条家に従ったあとに小泉城は改修されたものと推測しますが、本丸を囲む水堀と、高い土塁が、とても良い状態で残っています。
二の丸には「城之内古墳」や85基の「城之内百庚申」もありました。
水堀の周囲には、桜の木が並んでいますので、花見の時期には訪れる方も多そうです。
と言うより、桜と城跡の写真もインスタ映えすることでしょう。
お城の入門には、もってこいの初心者向け城跡で、見学所要時間は30分くらいです。
上野・小泉城への交通アクセス・行き方ですが、小泉町駅から線路沿いに西へ進み約600m、徒歩約10分となります。
クルマの場合、大きな公園の無料駐車場が2箇所くらいありますので、困りません。
公衆トイレも完備されています。
舘林城や新田金山城などとセットでどうぞ。
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