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福山城の解説【日本100名城】天守もあり新幹線の福山駅からも近い福山のシンボル

福山城

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福山城とは

国指定史跡である備後・福山城(ふくやまじょう)は、久松城(ひさまつじょう)、葦陽城(いようじょう)とも呼ばれる広島県福山市丸之内1丁目の標高28mの平山城で、比高は25mになります。
常興寺山の丘陵を削平して本丸を築き、二の丸・三の丸が取り囲む輪郭式平山城で、日本100名城にもなっています。
大阪夏の陣で豊臣家も滅亡したあとの江戸時代1619年に、安芸・広島城福島正則が改易(所領没収)となり、大和郡山城から水野勝成が10万石で福山藩に入封しました。
この頃、福山の中心地は、神辺城(かんなべじょう)であり、水野勝成も神辺城に入ります。


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水野勝成は徳川家譜代の家臣ですが 徳川家康の従兄弟でもあります。
西日本の毛利家など外様大名を監視する役割もある配置換えであり、また、10万石の居城としては手狭でだったことから、新たに新城を築こうと考えます。
そして、一国一城令の発布後である元和8年(1622年)に竣工したのも異例ですが、徳川幕府は福山城の造営許可を出しました。

福山城

大阪の陣のあとに建造された大規模な近世城郭としては最後の新しい城と言えます。

福山城

新たに城と城下町を生成するにあたり「福山」(ふくやま)と呼ぶようになりました。
低湿地だった福山の地は瀬戸内海の海上交通も可能で、西国街道の抑えにもなる場所でした。
今では、これまた交通の要所「福山駅」のすぐ脇に福山城があります。

福山城

福山城の建造物には、廃城となる神辺城からの移築だけでなく、江戸幕府より下賜された伏見城の伏見櫓や月見櫓、御殿(伏見御殿)、御風呂屋(御湯殿)、鉄御門、追手御門、多聞櫓なども移築されたと言います。

福山城

下記は国重要文化財・伏見櫓で、伏見城から徳川秀忠が移築された櫓となりますが、大変立派です。

福山城

また、江戸幕府からは石垣奉行2名も派遣され、工事は急ピッチで行われました。

福山城

芦田川の氾濫などもあったようですが、わずか3年の1622年に福山城は完成しています。

福山城

築城後には幕府公金から金1万2600両・銀380貫が貸与されるなど、天下普請とも言える扱いでした。
三重櫓がなんと7基、二重櫓は16基、約570mの多聞櫓など、10万石の大名として異例の規模を誇ります。

福山城

下記は国重要文化財となる筋鉄御門です。
これも、伏見城から移築したと言われています。

筋鉄御門

天守は、2重の付櫓が付いた複合式の五重天守となっています。

福山城・天守

水野家は5代・水の勝岑が夭折したため改易(お家取り潰し)となり、天領になったあと、元禄13年(1700年に)出羽・山形城から松平忠雅が10万石で入封しました。

福山城からの展望

下記は伏見城内にあった豊臣秀吉の居館・伏見御殿にあった建物の一部を移築し「湯殿」です。
ただし、太平洋戦争で焼失したため、現在の建物は復原されたものとなります。

福山城・湯殿

しかし、宝永7年(1710年)伊勢の桑名城に転封となり、下野・宇都宮城から阿部正邦が10万石で入封し、明治に至ります。
下記は、福山城の天守を裏側から撮影したものとなります。

福山城(裏側)

幕末にペリー提督黒船が来航した際に、江戸幕府の老中だった阿部正弘も、福山藩主(10万石)ですが、ほとんど江戸城に詰めていました。

福山城

そして、元治元年(1864年)の長州征討では、福山藩も参加を命じられ、藩主・阿部正方は藩兵約6000人にて広島城に進軍しています。
また、慶応元年(1866年)末の第二次長州征伐にも参加しましたが、この出兵準備中に福山城内の二の丸南側にある櫛形櫓の火薬が爆発し、隣接する鎗櫓、鉄砲櫓、番所が失われています。
そして、石見国益田にて長州勢の大村益次郎と戦いますが敗走しました。


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また、大政奉還の後、慶応4年1月9日(新暦1868年2月2日)に長州勢の杉孫七郎が福山城を大砲などで攻撃しを受け、降伏しました。
こうして、福山は戦火からは免れましたが、西国を抑えるはずが逆に西国の新政府軍に加わることになり、旧幕府軍と戊辰戦争で戦いました。
下記は、内藤家長屋門で移築されてます。

内藤家長屋門

昭和になっても天守(復興天守)、伏見櫓、筋鉄御門、御湯殿が残っており当時の国宝にも指定させましたが、太平洋戦争末期の昭和20年(1945年)8月8日、アメリカ空軍による福山大空襲にて焼失しました。

戦災をまぬがれた伏見櫓と筋鉄御門は上記でご紹介したとおり、現存しており、国の重要文化財になっています。
特に伏見櫓は、日本に現存の櫓としては最古の建築となっています。

その後、1966年秋に福山市制50周年事業として天守閣と御湯殿、月見櫓が復元されました。

三蔵稲荷神社

福山城の北東に、三蔵稲荷神社(さんぞういなりじんじゃ)があります。

三蔵稲荷神社

三蔵稲荷神社は、水野勝成が福山城を築城した際に、鬼門(北)の守護神として祀った神社となります。

三蔵稲荷神社

福山城への行き方

福山城への交通アクセスですが、JR福山駅北口から徒歩5分と至近です。

城跡敷地内は無料の公園ですが、天守閣への入場は有料拝観となります。
JAF会員証での割引きが使えました。
開館時間(営業時間)は、9月1日~3月31日が朝9時から17時(入館は16時30分まで)
4月1~8月31日までは朝9時~18時30分まで(入館は18時まで)

休館日は毎週月曜日(祝日の場合は翌日)と年末(12月28日~12月31日)です。

100名城スタンプは天守閣隣の事務所にあり、休館日でも大丈夫です。

駐車場は「ふくやま美術館」「ふくやま文学館」の有料駐車場があり、駐車券を天守閣受付まで持参すると駐車料金1時間分が割引きになります。


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夜間は通年ライトアップされているようで、桜の名所でもあり満開に咲くサクラも見事だとのことです。

福山城のライトアップ

私の場合ですが、福山城の観光所要時間は50分でした。

あと、鞆の浦にある「岡本家長屋門」は、福知山城から移築した長屋の門だとされていますので、下記の写真にて最後にご紹介申し上げます。

岡本家長屋門

水野勝成 出奔すること8回の戦国自由人から一転して名君へ
神辺城(村尾城) 約280年間も備後の中心地だった山城
草戸稲荷神社 迫力もスゴイ日本三大稲荷
阿部正弘 福山藩主として江戸幕府の老中首座になる
山陽にある史跡めぐり用オリジナル地図


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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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