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大和・郡山城 便利な訪問方法 筒井定慶と郡山城の戦い【続日本100名城】

大和・郡山城

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大和・郡山城とは

大和・郡山城(こおりやまじょう)は、輪郭式平山城ですが、ずっと前の奈良時代には薬園になっていたとされます。
秋篠川と富雄川の中間に突き出た西京丘陵の南端にあり、別名は雁陣之城と言い、続日本100名城にも選ばれています。
1162年に郡山衆が雁陣の城を築いたと言うのが初見となります。
1506年夏、赤沢朝経が大和に侵攻した際には、宝来衆、西京衆、生馬衆、郡山衆らが「西脇衆」と言う集団となり郡山城にて籠城しています。
8月24日に赤沢朝経は数千の兵にて包囲して、宝来九郎などを討ち取ったとあり、郡山城は落城しました。


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その後、郡山衆は、筒井城主・筒井順慶に属したり、越智氏に転じたりしますが、1559年に信貴山城主・松永久秀が侵入すると、郡山城主・郡山辰巳は松永久秀に協力して、筒井家から離反しました。

1568年、筒井城の戦いで松永久秀が筒井城を落とすと、郡山城は福住中定城と共に筒井順慶の拠点となります。

大和・郡山城城

1570年3月~1571年8月まで、松永久秀と松永久通の親子は四方に砦を築いて郡山城を攻撃しました。

大和・郡山城

その後、筒井順慶は松永久秀と和議を結び、また足利義昭を擁立して上洛した織田信長の援助を得て、大和守護に任ぜらます。

大和郡山城

松永久秀が織田家に謀反を起こすと、信貴山城の戦いにも筒井順慶は参じて戦功を挙げ、ついに1578年には大和を平定しました。

大和郡山城

1580年には、織田信長より「本城以外の破却」を命じられたため、郡山辰巳を殺害すると、筒井順慶は本拠地は筒井城から大和郡山城に移して大改修しました。
大和限定とは言え、一国一城令を最初に考えたのは織田信長と言えるでしょう。
恐らくは、もう大和では戦が起きない平和な国になったと言うのをアピールする狙いがあったとされていますが、筒井順慶や各城主の重臣らはいい迷惑だったことでしょう。

大和郡山城

1581年からは明智光秀が普請目付として郡山城にて改修を指揮していますので、大和争乱の時代を終わらせたのは「織田家」であると示したかったとも考えられます。

大和・郡山城

1583年4月には望楼型3重の天守が完成していますが、1584年に筒井順慶が死去すると、養子の筒井定次豊臣秀吉の命により、伊賀上野城へ転封となりました。

大和郡山城の天守台

この時、望楼型3重の天守は伊賀・上野城に移築されたと言われています。

大和郡山城の天守台

その後、大和郡山城には1585年に豊臣秀長が、大和国・和泉国・紀伊国3ヵ国100万石の領主として入りました。

大和・郡山城

そして、本丸、毘沙門曲輪、法印曲輪、麒麟曲輪、緑曲輪、玄武曲輪など、100万石に相応しい城に改修され、5重6階または5重5階の2代目望楼型天守も完成したと言われています。

大和郡山城

その豊臣秀長の天守は、建築学的には否定されてきましたが、2014年の発掘調査で天守台に礎石があったことが分かり、存在がほぼ確実となっています。

大和郡山城

そのため、私が訪問した2016年の時点では、天守は工事中で立入禁止となっていました。

大和郡山城

1591年に豊臣秀長が死去すると、養子・豊臣秀保が郡山城主となりますが、1595年に急死したため、大和大納言家は断絶し100万石の時代も終わりました。

大和郡山城

その後、五奉行の一人である増田長盛が22万3千石で郡山城に入り、堀と土塁で城下町を囲む壮大な「惣構え」となりました。

大和郡山城

関ヶ原の戦いで、増田長盛が高野山に追放されると、郡山城の建物は伏見城に移築されています。
その後は、奈良奉行所の管轄下となり、大久保長安が在番しました。


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筒井定慶と郡山城

筒井定慶(つつい-じょうけい)は関ヶ原の戦いのあと郡山城主となった筒井一族です。
筒井順慶より8歳下だったとする伝承があり、これを当てはめると1556年の生まれと推定されます。

父は、筒井家から福住家に入った福住順弘で、その次男として筒井定慶は生まれました。
母は、筒井順昭の次女です。

兄・福住順元は福住家を継いだとされていますが、活動や消息は不明です。
弟に筒井慶之と筒井順斎がいますが、この二人は同一人物の可能性もあり、筒井慶之がのちに筒井順斎を称した可能性もあります。

いずれにせよ、筒井定慶は豊臣秀長、豊臣秀保と仕えますが大和豊臣家が無くなると、徳川家康に従いました。

筒井順慶の死後に筒井家を継いでいた筒井定次が1608年に改易されると、徳川家康は筒井定慶に筒井家を相続させ、大和郡山城1万石としています。
この時、筒井正次から名を筒井定慶に改めたとされます。

大和・郡山城

1614年、大阪夏の陣の前には、細川兵助が使者として郡山城を訪れ、筒井定慶に対して豊臣に味方し勝利した暁には、筒井定慶には大和一国、筒井順斎には伊賀国を与えると誘います。
しかし、筒井定慶は豊臣の申し出を断りました。

1615年、大阪夏の陣のとき、大阪城の豊臣勢は4月26日に、大野治房、箸尾高春、細川兵助ら2000にて大和・郡山城へと迫ります。

大和郡山城

この時、筒井定慶は約1000にて郡山城に籠りますが、物見より敵勢は3万と見誤った報告もあり、郡山城を捨てて福住中定城へ移ることにします。

大和・郡山城

筒井順斎は「腑甲斐無し」と激怒して、徹底抗戦を呼びかけましたが、時すでに遅く郡山城はもぬけの殻だったと言います。
逃亡した筒井定慶に従う家臣はほとんどおらず、結果的に筒井定慶は4~5名で興福寺へと落ち延びました。

大和郡山城

筒井定慶はこの逃亡を後悔して、切腹したと伝わります。
辞世の句は「世の人のくちはに懸る露の身の 消えては何の咎もあらじな」です。

大和郡山城の堀

しかし、これには色々と訳があるようで、豊臣勢の出かたを見る為、徳川家康の命で撤退したともされており、自刃したことにして福住村にて静かに余生を過ごしたとも伝わります。

伝承では、筒井定慶かその子が隠棲し、のちに尾張へ行ったともされていますが、筒井順斎も兄を追って自殺したとされており、大名としての筒井家は断絶しました。

大和・郡山城

ちなみに弟・筒井慶之(筒井順斎)の子孫は、1000石にて徳川家の旗本として存続しています。

郡山城の戦いの後、水野勝成が6万石で郡山城に入り修繕しました。

大和郡山城

ただし、戦火などで城は荒廃していたようで、水野勝成はしばらく洞泉寺に仮住居しています。
のち三の丸に仮宅を構えましたが、多くの家臣は、あちこちの小屋で雨露をしのぐ有様であったと言われています。
しかし、石垣や堀の修築は徳川幕府の直轄にて行われ、二の丸台所櫓、本丸御殿、三の丸家中屋敷などが普請されました。

本丸の柳沢神社

大和郡山城の本丸の中には、現在「柳沢神社」があります。

柳沢神社

本来であれば、この柳沢神社の脇から天守台へと入れるのですが、最初の訪問時は天守台の発掘調査で立入禁止でした。

柳沢神社

その数年後、再訪させて頂きまして、本丸跡にも足を踏み入れました。
天守台がきちんと整備されています。

大和・郡山城

天守台の北側には、転用石の一部に「逆さ地蔵」があります。
ちょっと、わかりにくいのですが、石組みの間から奥を覗いてみると、逆さになった状態で、石の間に埋もれている地蔵が確認できます。

逆さ地蔵

1724年、甲斐甲府藩から柳沢吉里が15万石で移封されて、郡山の城下町を改めて整備しました。
この柳沢吉里は、将軍・徳川綱吉のもとで活躍した有名な柳沢吉保の長男です。

大和郡山城の縄張り図

大和郡山城の見学所要時間ですが、今回、私の場合で約40分でした。

大和郡山城へのアクセス

さて、大和郡山城への行き方ですが、電車の場合には、近鉄の近鉄郡山駅から約700m、徒歩10分と便利です。
クルマの場合ですが、私は訪問者用駐車場に止めさせて頂きました。
アプローチの道路は少し狭いですが、下記の地図ポイント地点となり、約7台ほど止められます。

地図は縮尺を変えてご覧願います。

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コメント

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  • コメント (1)

  1. 興味深く拝読しました。筒井慶之と筒井順斎について同一人物とされることもありますが、筒井慶之は奈良で切腹し、順斎は徳川家康に江戸に連れていかれて旗本になったと聞いています。そのうち研究が進んで、詳しいことが分かればいいなと願っています。

城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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