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小牧山城(小牧城)
小牧山城(小牧城)は愛知県小牧市堀の内にある標高86mの山城で比高は70mほど。
平山城とする分類もあるが、比高70mとなかかな堅固であるため山城と言って良いだろう。
なお、小牧山城(こまきやま-じょう)は国指定史跡、続日本100名城となっている。
最初の築城は戦国時代で清須城の織田信長とされるが、それ以前は山頂などに間々観音と言う寺院があったものと推測されている。
1560年、今川義元が尾張に侵攻した桶狭間の戦いに勝利した織田信長は、さっそく稲葉山城の斎藤義龍を攻撃開始。
1562年、織田信長は緒川城主・水野信元の仲介を得て三河・岡崎城の徳川家康と清洲同盟を結ぶと、1563年、美濃攻めの拠点として小牧山城を築き、清洲城から本拠を移した。
小牧山城の普請奉行は丹羽長秀で、重臣らを城下町に住まわせた。
1567年、西美濃三人衆の稲葉良通・氏家直元・安藤守就らが織田氏に内応し、斎藤龍興は稲葉山城を捨てて伊勢・長島城に逃走。
この稲葉山城の戦いに勝利した織田信長は美濃を手に入れ、本拠を移して岐阜城の築城を開始した。
そのため、小牧山城は有名ながらもわずか4年で廃城になったのが小牧山城の特徴とも言える。
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1584年、羽柴秀吉と徳川家康が小牧・長久手の戦いとなった際には、どちらの軍勢が先に小牧山を抑えるか?ひとつのポイントとなり、徳川家康がいち早く小牧山に本陣を置くのに成功している。
この時、陣城として大規模な改修も行われたようで、羽柴秀吉の軍勢も攻めあぐね、結果的に池田恒興・森長可らが三河へ遠征攻撃しようと、長久手付近で大敗を喫している。
その後、小牧山への入山は禁止されたようだが、江戸時代に尾張藩が城跡を管理したようだ。
入山が禁止されたことで堀跡や、ほぼ一周している土塁などの保存状態も良いらしい。
春はソメイヨシノ、カンザン、シダレザクラなど1150本の桜が咲き「小牧山さくらまつり」が開催される。
もし城訪問の場合には、春先はやめておいたほうが無難か?
現在ある小牧城の模擬天守(小牧市歴史館)は、1962年(昭和42年)に実業家・平松茂さんが建設し小牧市に寄贈したものとなる。
麓には新しく小牧山城史跡情報館もでき、御城印や続日本100名城スタンプがある場所は執筆時点で、小牧市歴史館(山頂の模擬天守)に設置されているようだ。
太平洋戦争末期には小牧山の山頂に対空監視所が置かれました。
また、南麓から山頂まで直線的に登る通称「兵隊道」が新しく作られて、南西麓には大規模な地下壕が掘られたとの事。
下記は天守付近の様子が分かる短い動画。
駐車場から山頂までは登ること徒歩10分~15分程度。
見学所要時間は通常で1時間程度。
交通アクセス
小牧山城への行き方だが、名鉄・小牧線の小牧駅から名鉄バス4番乗場・名鉄ピーチバス・小牧巡回バスに乗車し、小牧市役所前バス停下車し、山頂まで徒歩10分。
小牧駅から歩くと約25分で麓。
クルマの場合は小牧市役所の駐車場に停めると無料になる。
公園の駐車場は普通車50台で最初の2時間無料、以降30分100円。
資料館などの一部はJAF会員証もあるようだ。
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駐車場の場所などは、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)
小牧山城の御城印は2種類あり、築城者である織田信長の家紋が入った信長バージョンと、徳川家康が陣を置いたことにちなんだ家康バージョンがあるようだ。
書き置きですが、日付はスタンプで押して頂け小牧市歴史館にて購入可能。
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