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尾張・羽黒城のわかりやすい解説~ 戦国武将・梶原景久(梶原景義)

尾張・羽黒城

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尾張・羽黒城とは

尾張・羽黒城(はぐろじょう)は愛知県犬山市羽黒字城屋敷にある平城(屋敷)。
最初の築城としては鎌倉時代の建仁年間(1201年〜1204年)に梶原景親(梶原景時の孫)が築いたとされる。
梶原景時の2男・梶原景高の子が梶原景親になる。
ちなみに、梶原景時の母は、横山党・横山孝兼の娘。


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正治2年(1200年)鎌倉を追われ、相模・梶原景時館から京を目指した梶原景時ら一族は、駿河国清見関・狐崎での合戦に敗れ梶原景茂・梶原景国・梶原景宗・梶原景則・梶原景連らが揃って討死した。
梶原景時と嫡子・梶原景季(39歳)は、次男・梶原景高(36歳)と共に背後の山に登って自刃。

梶原景時

この時、梶原景高の子・豊丸は乳母(隅の方)に連れられて、梶原景時らとは別ルートの甲斐国、信濃国、美濃国の東山道方面を経て尾張・羽黒の領地(隅の方の故郷)に落ちのびたようで、成長すると梶原景親と名乗って館を構えたと言う。
梶原景茂(梶原景時の3男)の玄孫も尾張に来たともある。
屋敷の場所は現在の興禅寺の場所とされる。

尾張・羽黒城

ただし、城跡にある犬山・興禅寺は、平安時代末期の1174年に、梶原景時が羽黒下大日に真言宗・光善寺を創建したのが始まりとされるため、所領としては平安時代から梶原氏が得ていた可能性もある。

犬山・興禅寺

なお、梶原氏が粛清されたあと、梶原景時の弟・梶原朝景が梶原氏の家督を継いでいる。

光善寺の脇に小高い丘があるが、これは羽黒城古墳と言う前方後円墳で、墳丘の最高所に城址碑があるようだ。
土塁は古墳から興禅寺の境内まで繋がっていたようだ。

尾張・羽黒城

尾張・梶原氏は、鎌倉時代末期の梶原景秋は、足利尊氏の側近・高師直に仕えた。
戦国時代には、羽黒城主・梶原景久が織田信長の家臣に見える。

梶原景久(梶原景義)

梶原景久(かじわら かげひさ) は戦国時代に織田信長に仕えた武将で生年不詳。
尾張・羽黒城主3000石。
子の梶原松千代は織田家小姓となっている。
なお、山内一豊の母・法秀院は、尾張・梶原氏の娘ともされる。(要するに、尾張・黒田城の山内盛豊に嫁いだ可能性がある。)

梶原景久(梶原景義)

梶原平次郎景久(梶原景義)は1569年8月、伊勢・大河内城の戦いに加わっている。
1570年8月、野田城・福島城の戦い(第1次石山合戦)に参加し、1570年9月からの志賀の陣にも参じた。
天正2年(1574年)7月から3度目の長島一向一揆討伐では織田信忠の軍勢として市江口より侵攻している。

1574年9月29日、一向一揆の捨て身特攻にて負傷したとも。
天正10年(1582年)2月、織田信忠に従い甲州征伐に出陣。
鳥居峠の戦いでは、木曾義昌に加勢して武田勢を撃退した。


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織田信長の馬廻衆・団忠正も、もとは梶原平八郎を名乗っていたため梶原一族の可能性がある。
1582年、織田信忠の軍勢として武田攻めで武功があり団忠正は美濃・岩村城主になった。
本能寺の変の際、団忠正は織田信忠と共に二条御所にいて、明智光秀の軍勢と戦い討死した。

梶原景久(梶原景義)も殉じたようで、本能寺の変のあと、羽黒城は廃城になっているため、尾張・梶原氏は滅亡したと考えられている。

1584年(天正12年)、小牧・長久手の戦いでは前哨戦として「羽黒の戦い」となり、豊臣勢の森長可池田恒興らと、徳川勢の松平家忠酒井忠次ら羽黒で合戦となり、あたり一帯は焦土と化したとある。
その後、犬山城を池田恒興が占拠し、本陣とした豊臣秀吉は、、山内一豊・堀尾吉晴・伊藤祐時らを羽黒城に入れて改修させた。

興禅寺も焼失していたため、1602年、犬山城主になった小笠原吉次が羽黒城跡に再興したと言う。

犬山・興禅寺

梶原景時供養塔

興禅寺の墓所(奥の方)に梶原景時供養塔がある。

梶原景時供養塔

交通アクセス

尾張・羽黒城への行き方だが、羽黒駅から400m、徒歩6分ほどの距離。
駐車場の場所を当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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