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宇佐美城の解説【宇佐美祐茂の本拠地・宇佐美荘】

宇佐美城

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宇佐美城とは

宇佐美城(うさみ-じょう)は、静岡県伊東市宇佐美(伊豆半島)にある丘城で標高20m(比高20m)になります。
別名は、留田の城山とも言います。
かつては、堀や土塁もあったようですが、大学寮の建設で遺構は大きく損なわれた模様です。

宇佐美城

最初の築城は不明ですが、平安時代末期に宇佐美祐茂(宇佐美三郎左衛門尉祐茂)が築いたとされます。
宇佐美祐茂(うさみ-すけもち)は、工藤氏の一族である伊東祐継の3男で、父より宇佐美荘を与えられました。
兄に、曽我兄弟の仇討ちで有名な工藤祐経がいます。
当然、平地に宇佐美氏館があり、詰の城として、宇佐美城が機能していたと考えられます。

1180年、源頼朝の挙兵に味方した宇佐美祐茂は、石橋山の戦いにも参じ、25功臣のひとりに数えられています。


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なお、宇佐美氏は、越後・伊勢・阿波にも散らばっております。
春日山城上杉謙信を支援した、琵琶島城で軍師の宇佐美定満が著名です。
足利直義の執事(関東管領)上杉憲顕に従って、1466年に越後に移ったのが、宇佐美房忠で、その子が宇佐美定満になります。

戦国時代となり、1493年、伊勢宗瑞(北条早雲)が堀越公方・足利茶々丸を攻撃した際に、宇佐美貞興(宇佐美定興)は、堀越御所にて討死にしたとあります。
のち、宇佐美城も約10日籠城したあと、陥落となったようです。

宇佐美城

1495年には伊東祐遠が伊勢氏(北条氏)に寝返り、1498年には伊豆・狩野城も陥落しました。

2020年8月1日、宇佐美城山公園キャンプ場(USAMI SHIROYAMA CAMP FIELD)が、本丸にオープン致しましたので、登城は、遠慮させて頂きました。

宇佐美城

南側の民間駐車場(夏1000円など)の脇に「宇佐美祐茂塁趾」があります。

交通アクセス

宇佐美城への交通アクセス・行き方ですが、電車の場合、JR伊東線の宇佐美駅から徒歩15分くらいの距離です。
クルマの場合、宇佐美海水浴場駐車場を利用して、宇佐美祐茂塁趾まで徒歩1分くらいです。
ただし、夏休み期間中は、海水浴客がたくさんいるため、クルマを止めるのは困難ですので、訪問する場合には、時期を考えたいところです。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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