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伊豆・狩野城~工藤茂光と最後の城主である狩野道一

伊豆・狩野城

伊豆・狩野城(かの-じょう)は、別名を柿木ノ城(かきぎのじょう)とも言う下田街道を見下ろす標高189mの山城で、比高は100mとなります。

もうお分かりのとおり、狩野氏の本拠地ですね。
狩野氏は藤原南家の系統で、藤原為憲を祖としますので、貴族出身の武士となります。
藤原為憲が、940年の承平天慶の乱にて藤原純友とともに活躍し、従五位下木工助に叙任されると工藤姓を名乗るようになりました。

1050年頃には工藤維景が駿河守を退任したあと、修善寺から天城湯ヶ島に至る狩野郷に移り住み、狩野姓を称するようになります。
加納、嘉納とも記載されることがあります。





狩野城が築城されたのは1100年頃と推定され、築城者は2代・狩野維職、もしくは3代・狩野維次と考えられています。
なお、工藤氏(狩野氏)からは伊東氏や宇佐美氏などが一族として配されています。

工藤茂光

工藤茂光(くどう-しげみつ)は、狩野茂光(かのう-しげみつ)とも呼ばれますが、平安時代末期、狩野介と称し、伊豆の武士を束ねる棟梁でした、
伊豆大島も所領だったと言います。
そして、1156年、保元の乱にて、伊豆大島に流罪となった源為義の八男・源為朝の監視役を務めました。
しかし、源為朝は罪人の身でありながら、鬼ヶ島に渡り、伊豆七島を支配すると蜂起する動きを見せます。
そのため、工藤茂光は討伐の院宣を受けて、1170年、伊東氏・北条氏・宇佐美氏らと500余騎、20艘で攻めて源為朝を自害に追い込みました。

1160年から、伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)に流されていた源頼朝が、1180年に挙兵した際には、北条義時らと工藤茂光(狩野茂光)も従います。
しかし、石橋山の戦いにて、源頼朝は敗れますが、この時、大庭景親・伊東祐親らと戦かった工藤茂光(狩野茂光)は、敗戦の中、自刃して果てました。

一説では、太っていて早く逃げられず、足手まといになるとして、外孫の田代信綱に介錯してもらったとされます。

家督は嫡男・狩野宗茂が継いだようで、一ノ谷の戦いにて捕虜となった平氏の総大将・平重衡の身を預かっています。
このように父の功績もあり鎌倉幕府では重用され、狩野家では代々「狩野介」を称して伊豆で続きました。
3男と考えられる工藤親光は、1189年の奥州征伐に、幕府軍の総大将として出陣しましたが討死しています。

狩野道一

伊豆では盟主的な狩野一族ですが、時代は流れて戦国時代初期、1493年に伊勢新九郎が(北条早雲)が、堀越御所を襲撃して茶々丸を追放します。
そして、伊勢新九郎は韮山城を拠点としましたが、この時、狩野城主の狩野道一(かのう-どういつ)は堀越公方を継いだ茶々丸に従っていたため、伊勢新九郎と敵対しました。
しかし、宇佐美氏、そして伊東氏と、工藤一族の結束を切り崩されたため、狩野道一は窮地に立ちます。

伊豆・狩野城

1496年に伊勢勢であるの雲見の高橋将監などにより狩野城(柿木城)は包囲されていますが、この時は、なんとか撃退しました。
その後、柏窪城などで攻防もありましたが、1497年12月、狩野城は降伏・開城となった模様です。
まさに上流階級の支配者が、下位のものに滅ぼされると言う下剋上です。

その後の狩野道一の消息は不明ですが、北条早雲の戦後処理「旧豪族は地縁から切り離す」と政策があり、狩野一族らは小田原に送られたようです。

その後、狩野氏は、小田原評定衆の中にも御馬廻衆・狩野泰光(狩野一庵)の名が加わっています。
狩野一庵は、北条氏照の家老を務め、1590年に、豊臣秀吉の小田原是の際に、八王子城の三の丸にて討死しています。
狩野一庵の子と考えられる狩野主膳には、2017年の大河ドラマ「おんな城主・直虎」にて、吉倉あおいさんが演じた、桔梗(新野左馬助の7娘?)が正室として嫁いでいた可能性があります。
その狩野主膳の子である木俣守安は、井伊直政の彦根藩にて筆頭家老となりました。

また、武人狩野氏の末裔である絵師は「狩野派」として、絢爛たるその画風と共に、今でもよく知られるのは言うまでもありません。





現在の狩野城跡は、遊歩道の整備も行われており、立ち木もほどよく伐採されています。
そのため、遺構も分かりやすくなっているようです。

交通アクセスですが、修善寺駅から昭和の森行きバスで15分、柿木橋バス停下車となります。
見学所要時間は約1時間程度です。
無料駐車場は、当方のオリジナル地図にて場所がわかるようにしてあります。

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この史跡への皆様の評価→
攻略難易度
中級者向け
旧国名
伊豆
著者コメント
そんなに高くない山ですので、冬期であれば初心者でも登城可能です。

 

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