越中・白鳥城
越中・白鳥城(しらとりじょう)は、富山県富山市吉作にある山城で、標高は145m、比高は130mになります。
別名は呉服山城、御服山城、五福山城と言い、呉羽丘陵の地形を巧みに利用した、富山城の西の守りです。
城名は東麓に鎮座する白鳥神社に由来するとされていますが、白鳥城と言う名称も、一般的には姫路城の事を白鳥城と呼ぶことで知られています。
また、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城も白鳥城と言う事で、富山にある城名は、日本各地などに同名の城があることが多いため、注意が必要です。
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最初の築城は、弥生時代のようで、本丸跡から環壕を巡らした高地の集落跡が発掘されています。
その後、鎌倉時代の初め、源義仲(木曽義仲)の武将・今井兼平(今井四郎兼平)が本陣にしたとの記録があります。
1362年には、越中守護・桃井直常と戦った加賀・越前の軍勢が籠ったともあります。
戦国時代になり、神保長職が神保家を再興して富山城を整備した際に、この越中・白鳥城も改修されました。
下記は、麓にある越中・安田城からみた、越中・白鳥城がある山です。
1572年、武田信玄の調略に応じた加賀・越中の一向一揆が日宮城を攻略すると、越中・白鳥城や富山城も落としていますが、一揆は、翌年に上杉勢が鎮圧しました。
1578年には、神保八郎左衛門なる一族の武将が、越中・白鳥城主ともあり、富山城の詰城でもあったようです。
1585年、豊臣勢が富山城の佐々成政を攻撃した際に、織田信雄が越中・白鳥城に陣を置いたと考えられています。
1586年、春日山城の上杉景勝が上洛する途中、五福山城の武将3人が、西岩瀬にて一行をもてなしました。
そのあと、越中が前田利家に与えられると、当初、越中・守山城に前田利長、越中・木舟城に前田秀継、越中・増山城に山崎長鏡、城生城に青山佐渡、そして越中・白鳥城には岡島一吉が入りました。
前田勢によって、更に城の改修が行われた模様で、片山延高(片山伊賀守延高)と言う名も見られます。
のち、岡島一吉は、平城の越中・安田城に移っており、白鳥城は詰城として残りましたが、越中・安田城と同じ時期に廃城になったようです。
現在、城山には遊歩道があり公園になっています。
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交通アクセス
越中・白鳥城がある山の上には、少し狭いですが、対面通行できる道路がスカイラインのように伸びています。
城山公園のしらとり広場と言う場所が無料駐車場になっていて、そこから白鳥城に入れます。
電車の場合には、JR北陸本線の富山駅から、富山市内軌道線にて大学前駅下車し、タクシーとなります。
越中・白鳥城の見学所要時間は、当方オリジナル地図にある駐車場からですと、くまなく見ると40分くらいといったところです。
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