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大豆戸城 (小幡泰久館)をわかりやすく解説~北条氏に仕えた小幡氏

大豆戸城 (小幡泰久館)

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大豆戸城

大豆戸城(まめど-じょう)は、神奈川県横浜市港北区篠原北にある丘城

小幡泰久館、武蔵・安山城、大豆戸館、小幡屋敷、小幡氏館とも言う。
安山とは、菊名駅前から本乗寺・八杉神社がある辺りの丘の名前だ。

大豆戸城 (小幡泰久館)

現在ある八杉神社の裏山に城跡があったらしいが、完全に住宅街となっており正確な場所などはわからない。

上記でも触れたとおり、戦国時代の天文年間(1532年~1555年)頃には、北条家の家臣・小幡泰久(小幡伊賀守泰久)の居城で、子に小幡政勝(小幡勘解由左衛門政勝)がいたと言う。
知行は25貫。
今川家の家臣だった小畑久重の子が小幡泰久で、天文23年(1554年)に本乗寺を創建。


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今川家中の小幡氏と言うと、遠江・勝間田城主である勝間田修理亮の一族に見られる。
1476年、勝間田城は落城して勝間田氏・小幡氏は滅亡。
小畠虎盛(おばた-とらもり)は甲斐の武田信虎に仕官したことで有名だが、小幡一族は東の御殿場に逃げているので武田や北条を頼ったのかもしれない。
また、常陸・小幡城などの流れとする説もあるが、その場合でも今川氏に仕えたあと北条氏の家臣になったというらしいので念のため記載しておく。

この小幡泰久は、永禄元年(1558年)に伊豆の土蔵野合戦にて、65歳で討死したともある。
この土蔵野合戦は、伊豆・戸倉城の戦いの誤記(漢字間違え)とも推測できるが、小机城の笠原氏が小机衆を動員して潰滅したのは、1581年の事なので年代が合わない。

北条氏康は、1554年7月、今川氏真の正室に早川殿を送り、12月には甲斐の武田信玄の娘・黄梅院を北条氏政の正室に迎え、今川家・武田家に対して甲相駿三国同盟を結んでいる。
そのため、1558年に今川家と合戦したとも考えにくい。
年と漢字の両方が間違いと言う事か?

なお、江戸城主である遠山綱景の次男が小幡源二郎ともある。
1559(永禄2)年、後北条氏所領役帳によると、江戸衆に「小幡源二郎673貫300文」(遠山綱景の次男)と「小幡勘解由左衛門」(小幡政勝)の名が見受けられる。

1564年、第二次国府台合戦で、遠山綱景は嫡男・遠山隼人佐と討死したため、3男・遠山政景が家督を継いでいる。
そのため、2男とされる小幡源二郎は、どの系統かは不明だが小幡氏の家督を継いでいたと考えて良いだろう。


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北条氏滅亡後、大豆戸城主である小幡政勝の子・小幡正俊は徳川家康に仕えて旗本になったようだ。

交通アクセス

城域がハッキリしないのでどこを目指すかにもよるが、菊名駅から徒歩10分~20分程度。
駐車場はないのでコインパーキング利用となる。

近く篠原城とセットでどうぞ。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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