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亀之甲山陣城をわかりやすく解説~太田道灌が小机城を攻撃した際の陣城

亀之甲山陣城

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亀之甲山陣城とは

亀之甲山陣城(かめのこやま-じんしろ)は、神奈川県横浜市港北区新羽町にある臨時の陣城跡。
現在、新横浜テクノヒルズという工業団地になっている丘上が、亀之甲山陣城跡になる。

亀之甲山陣城

陣城と言うのは、敵の城を攻撃する際に自軍の本陣を置いて対陣するための、臨時の防御城と言う意味になり、短期間に築城する必要がある。

1476年、関東では関東管領・上杉顕定(山内上杉家)に対し「長尾景春の乱」となり、相模国・武蔵国の国人が長尾氏に呼応。
江戸城を築いた扇谷上杉家・家宰の太田道灌は、1477年に石神井城練馬城の豊島泰経を攻撃した。
石神井城から逃れた豊島泰経はて小机城の矢野兵庫助を頼って逃れた。
追撃していた太田道灌は1478年1月から小机城を包囲。

鶴見川の対岸に当たる丘陵に亀之甲山陣城を築いて、約2ヶ月間「小机城の戦い」となった。
と言う事で、亀之甲山陣城の築城者は名将・太田道灌と言う事になる。

亀之甲山陣城

ある程度の大軍だったとも考えられるため、鶴見川のほとりから丘に掛けて段々のように軍勢が見えるように布陣していたものと想像した。(そのほうが敵に脅威だと感じさせられる)
対陣のあいだ疲れた将兵を激励する為に「硯松」と呼ばれる場所で「小机はまず手習いのはじめにて いろはにほへと ちりぢりになる」という首を太田道灌がよみ鼓舞したと伝わる。
こうして攻囲戦の末に小机城は落城した。

話を照合すると、どうやら、神奈川県横浜市神奈川区羽沢町にある「硯松」に伏兵を配置し、亀之甲山から小机城を正面から攻撃。
反対側に逃走した小机勢を硯松にて待ち伏せし、潰滅させたようだ。
矢野兵庫助の本領は武蔵・権現山城がある神奈川湊だったともされるため、逃走経路を予測してのことだったのだろう。
太田道灌、恐るべしである。


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矢野兵庫助と豊島泰経の消息不明は不明となり、平安時代から続いた名門・豊島氏は滅亡した。
豊島氏を滅ぼした太田道灌の名声は一段と上がり、山内上杉氏さえ脅威を感じるようになり、謀反を起こすことを恐れた上杉定正は相模・糟谷館にて太田道灌を殺害している。

交通アクセス

亀之甲山陣城への行き方だが、横浜市営地下鉄・ブルーライン「北新横浜駅」から歩いて8分ほど。
遺構などはなく駐車場も無い。
小机城とセットでどうぞ。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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