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篠原城 (相模・金子城) 金子氏の一族が治めていたか?

篠原城

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篠原城 (相模・金子城)とは

篠原城(しのはらじょう)は、神奈川県横浜市港北区篠原にある平山城で、別名は、相模・金子城とも言います。
台地の先端部に築かれており、土塁や空堀などの遺構が残っていますが、現在、城址は立入禁止となって保存されていますが、年に1回程度、篠原城と緑を守る会さんの企画で特別公開される場合があります。
郭などは墓地や民家になっており、遺構の多くは失われているようですが、一部は、よく残っていると言う事になります。

篠原城

最初の築城としては、平安時代末期の金子十郎と推測されているようです。
金子十郎と申しますと、平安末期の武蔵七党・村山党に、金子家忠(金子十郎家忠)がおり、源義朝に従っています。
本拠地は、武蔵国入間郡金子(入間市金子)が本貫ですが、武蔵国のあちこち(東京・神奈川)にも飛び地の領地があったようです。
そのため、金子十郎本人かはともかくとして、金子氏の屋敷があった可能性はあるでしょう。


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その後、篠原城は、鎌倉時代には武蔵・鳥山城である佐々木氏の所領ともされますが、室町時代には上杉氏や太田道灌の支配下となりました。
ちなみに、金子掃部助と言う武将は長尾景春に与して、相模・小沢城にて籠城もしましたが、同じ金子一族と推測されます。

篠原城

このように、金子氏は各地で存続したようで、戦国時代には、金子氏の本領にて金子家長と言う武将が出てきますが、1546年に北条氏康の軍門に下りました。
また、滝山城主となった北条氏照の家臣にも金子十兵衛や、八王子城の金子丸を守った金子家重(金子三郎右衛門家重)もいます。

篠原城

その北条家の小田原衆所領役帳では、玉縄衆として篠原の領主に、金子出雲と言う武将名が記されています。
北条氏康の7男・北条景虎(上杉景虎)の家臣に金子出雲守が見受けられます。
小机城と連携をとっていたのは間違いないでしょう。
金子出雲守など金子氏の菩提寺は、麓にある長福寺となりますが、北条氏直豊臣秀吉に降伏したあと、新横浜の金子氏は帰農し名主となった模様です。
東海道新幹線もひっきりなしに通る篠原城でした。

篠原城から新幹線

篠原城への交通アクセス・行き方ですが、駐車場は、新横浜駅周辺のコインパーキング利用となります。

新横浜駅から新幹線に乗車する前、30分以上あれば、サクッと篠原城の案内板まで往復できます。


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JR東日本の横浜線・新横浜駅の篠原口からは、約800m、徒歩10分くらいの距離です。
その篠原口改札は、JR東海の新幹線から直接の出入りはできません。
新幹線で新横浜まで来た場合には、東口改札を出て、新幹線の高架下を抜けて、約600m、徒歩8分くらいです。
横浜市営地下鉄の新横浜駅からも、新幹線と同様のルートになります。
篠原城の案内板がある前の道路は、歩行者専用と言うような狭い道路です。

篠原城

当方のオリジナル地図にて、案内板がある場所をポイントしていますので、ご活用頂けますと幸いです。

近くには、大豆戸城もあります。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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