和歌山県

紀伊・泊城(芳養泊城) 湯川氏の最初の本拠地と杉若無心

紀伊・泊城(芳養泊城) 

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紀伊・泊城(とまり-じょう)は、和歌山県田辺市芳養町にある丘城です。
なお、日本全国に泊城と言う名称の城はたくさんあるため、区分するため南紀の泊城は、芳養泊城、泊山城とも書く場合があります。
遺構などは全く残っていないようで、整備もされておらず、荒れ放題なようですが、歴史的にはかなり重要な場面にも登場する城跡です。

まず、紀伊・泊城(芳養泊城)は、湯川氏が発祥した際の本拠地でした。
鎌倉時代の1229年、甲斐・武田氏の一族と考えられる武田忠長が、熊野に移住したのか、配流されたのか?移ってきます。
この時、受け入れたのが、湯川庄司と言う土豪で、武田忠長は湯川庄司の娘・お葉と結婚して婿入り、湯川忠長と称しました。
そして、紀伊・泊城を本拠地とした湯川氏へと発展して行ったのです。


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ただし、しばらくして湯川氏は、本拠地を紀伊・亀山城へ移し、戦国時代には紀伊・小松原館を中心として一大勢力「湯川衆」を構成しました。
11代・湯川直光の弟と考えられる湯川教春が戦国時代の紀伊・泊城主です。

織田信長に追放された足利義昭が河内・若江城を経由して、南紀の興国寺に入った際に、そのあと頼ったが紀伊・泊城です。
足利義昭は、泊城にて湯川直春や、近隣の紀伊・龍松山城主である山本康長らに味方するよう書状を送りましたが、誰も賛同しないため、毛利家を頼って鞆の浦へ行ったのです。

1585年、豊臣秀吉の紀州征伐では、紀伊・泊城の戦いが発生しています。
12代・湯川直春は本拠の紀伊・亀山城にて籠城しましたが、小松原館を焼いて逃れました。
このとき、最初には叔父・湯川教春の居城になっていた紀伊・泊城に逃れたようです。

しかし、紀伊・泊城も仙石秀久杉若無心(杉若越後守)らに攻められたようで、陥落した模様です。
そのため、湯川氏は、紀伊・龍松山城まで退却して3ヶ月籠城し、その後、山中に入ると神出鬼没のゲリラ戦を展開しました。
これに業を煮やした豊臣勢は、結果的に湯川氏とは和睦していますが、泊城主・湯川教春は討死したものと推定されています。

紀伊・泊城(芳養泊城) 

その後、紀伊国は豊臣秀長の領地となり、紀伊・泊城には杉若無心が入りました。

杉若無心

杉若無心(すぎわか-むしん)は、生没年不詳であまり詳しいことがわかっていない武将ですが、どうやら朝倉氏の家臣だったようです。
娘が丹羽長秀の側室になった縁で、恐らくは織田家の家臣に加わり、本能寺の変のあとには、羽柴秀吉に仕えていたと考えられます。
そして、1585年からの紀州攻めでは、若杉越後守と言う武将の名前が、豊臣勢に突然現れるようになるのです。
大和・郡山城主となった豊臣秀長の家臣に加えられて紀伊・泊城主となり、熊野水軍を率いました。

しかし、1590年、新たに紀伊・上野山城を築いて、本拠を移しています。
ちなみに、上野山城があった場所はよくわかっていませんが、八立稲荷神社があるあたりではないかと推測されているようです。
杉若無心は19000石にもなり、子の杉若氏宗に家督を譲っています。
1600年、関ケ原の戦いで石田三成に協力し、杉若氏は大津城の戦いに参加しました。
しかし、関ヶ原本戦での敗報を聞くと徳川家康に恭順し、徳川家からの命を受けて、南紀の新宮城の戦いに参加しています。
ただし、紀州は浅野幸長に与えられることになり、杉若氏の所領は没収となりました。
その後は京に住んだようですが、まもなく没した模様で、子の杉若氏宗に関してもその後は良くわかっていません。


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和歌山城に37万石で浅野幸長が入ると、田辺には一族の浅野氏重が、甲斐・勝山城(郡内の勝山城)から3万石で移ってきました。
年代が不明ですが、浅野氏重(あさの-うじさだ)は、港の近くに州崎城を築城しています。
しかし、1605年、波浪(南海トラフ地震?)にて流失したようで、1606年に、改めて会津川東河口に新築したのが、紀伊・湊城と言う事になります。
紀伊・湊城は破却されたあと、のちに紀伊・田辺城として復活しています。

さて、紀伊・泊城(芳養泊城)の場所ですが、当方のオリジナルお城マップでもわかるようにしてあります。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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