茨木城(いばらき-じょう)は、大阪府茨木市片桐町の平城です。
最初の築城として一番古い説からご紹介すると、建武年間(1334年~1336年)に、あの楠木正成(くすのき-まさしげ)が築いたともされます。
ただし、腰を据えて住んだわけではないため、築いたとしても、砦程度の簡素な城だったのでしょう。
その後、出自は不明ですが、茨木を本貫とする茨木氏(いばらきし)が現れますが、茨木弥三郎が細川政元と薬師寺元長の攻撃を受けて、従っています。
そのあとには、薬師寺氏が茨木城に入ったようですが、薬師寺氏も内紛となり、1507年には、摂津守護代復帰を狙った薬師寺万徳丸が茨木城を攻撃し、薬師寺長忠が討死したともあります。
薬師寺長忠の後を継いだ薬師寺国長は、山崎城を本拠とした模様です。
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その後、茨木城主として登場するのは、茨木長隆となりますが、名前が薬師寺氏の系統のようにも感じられまし、茨木氏は摂津守護にもなりますので、もしかしたら、薬師寺一族なのかも知れません。
茨木長隆(いばらぎ-ながたか)は、1527年に、三好元長・柳本賢治らが桂川原の戦いで管領・細川高国を追放すると、細川晴元に従いました。
そして、細川晴元政権の中心的役割を果たし、京都代官などを務め、細川家の参謀と右筆を担ったとされます。
茨木家の家臣としては、水尾図書助、倉垣宮内少輔、森田彦市郎などがいます。
1531年3月、大物崩れでは、木沢長政・三好元長らと共に細川高国を破るのに尽力し、捕縛された細川高国は自害しています。
また、摂津一向一揆となると、法華一揆の力で牽制し、細川晴元の入京に大きく貢献しました。
1538年には、摂津守護代になっています。
しかし、摂津半国の守護代になった三好長慶が台頭すると、押され気味となり、江口の戦いで細川晴元が三好長慶に敗れ、茨木家も没落しました。
茨木重朝に代になると、1568年に摂津に侵攻した織田信長に臣従し、茨木の本領を安堵されています。
そして、茨木重朝は野田城・福島城の戦いで、高槻城主・和田惟政と共に織田勢とした戦いました。
しかし、1571年8月28日、白井河原の戦いで、茨木重朝と和田惟政、郡宗弘、芥川城主・高山友照は、池田氏の家臣である荒木村重・中川清秀と対峙しますが、反撃を受けて討死しました。
城主が討死したものの、茨木城は引き続き抵抗を続けました。
荒木勢の槍の名手・熊田千助が茨木城の虎口を突破、三の丸を占領すると、二の丸が降伏。
そのため、本丸からも裏切り者が出て、茨木城は炎上し落城しました。
茨木勢は300名以上が討死にしたとされ茨木氏は滅んでいます。
その後、茨木城には荒木村重の子・荒木村次が入りましたが、実質的な城主は中川清秀であり、茨木城を大改修し拡充しています。
茨木小学校一帯が本丸跡とされ、茨木小学校の正門には、奈良の慈光院に移築された茨木城楼門が復元されています。
また、茨木神社の東門(トップ写真)は茨木城の搦手門を移築したものとされます。
下記は、茨木神社の奥にある、黒井の清水(井戸)です。
天守があったと言う記録はないことから、天守閣は無かったと推定されています。
1577年からは、中川清秀が正式な茨木城主とんりましたが、1578年、荒木村重が織田信長に謀反をおこし、有岡城の戦いとなりました。
中川清秀も、茨木城の守りを固めましたが、高槻城の高山右近が織田家に降伏すると、茨木城を開城して織田勢に寝返っています。
そのため、中川清秀は所領安堵となりました。
1582年、明智光秀による本能寺の変では、中国大返しをした羽柴秀吉に、中川清秀や高山右近は味方し、山崎の戦いで戦功を挙げます。
そして、柴田勝家との賤ヶ岳の戦いにも出陣しましたが、佐久間盛政の猛攻を受けて、中川清秀は討死しました。享年42。
その後、子である中川秀政(なかがわ-ひでまさ)が、5万石で茨木城主を継承しました。
1584年には、小牧・長久手の戦い、また、1585年の四国攻めで功績を挙げ、播磨・三木城13万石に加増移封となっています。
そのあと、茨木の地は大坂城に近いことから、豊臣秀吉の直轄地となり、安威城主・安威了佐や、河尻秀長が代官として茨木城に入っています。
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1600年、関ケ原の戦いのあと、1601年になると、豊臣恩顧の片桐且元が茨木城主となりましたが、政務を取ったは弟の片桐貞隆であるとも言われています。
1615年、一国一城令になると、高槻城は残りましたが、茨木城は廃城となり、破却されています。
そのため、現在、目立った遺構は皆無で、住宅地となっています。
交通アクセスですが、阪急電鉄・京都線の茨木市駅から徒歩約15分。
周辺は道が狭く、一方通行の道路もあるため、中央公園地下の有料駐車場にクルマを止めて、約30分ほど散策させて頂きました。
その駐車場入口は、当方のオリジナル地図でもわかるようにしてあります。
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2018年7月の大阪北部地震にて、茨木市は深度6弱だったことから、古い建物は屋根が破損するなどの被害が目立っており、心が痛みました。
失礼と存じ、そんな被害の撮影までは自粛致しましたが、一日も早い復興をお祈り申し上げる次第です。
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