京都府

神尾山城(本目城) 柳本賢治の解説も 波多野一族として奮戦する

神尾山城

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京都府亀岡市宮前町宮川にある神尾山城(かんのおさん-じょう)は、神尾寺城、本目城(もとめ-じょう)、神尾城、神尾山古城、本梅城、本免城とも言う連曲輪式山城で、標高は359m、比高は230mとなかなか堅固です。
近くにある金輪寺の裏山と言う天台密教の聖地であり、巨石怪石を生かした丹波でも有数規模の山城で、山陰道の押さえでした。

最初の築城は不明ですが、神尾山城は八上城主・波多野秀長の子で、波多野稙通の弟である柳本賢治(やなぎもと-かたはる)の居城として知られます。

戦国時代の1526年7月13日に、管領・細川高国が細川尹賢の讒言を信じて、波多野稙通の実弟で重臣の香西元盛を自刃させます。
そのため、兄弟である波多野稙通は八上城にて、柳本賢治は神尾山城に籠城して、細川高国に反旗を翻し、阿波の細川晴元に呼応しました。


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驚いた細川高国は、1526年10月23日、細川尹賢を総大将にして神尾山城に向かわせ、八上城には瓦林修理亮、池田弾正などを派遣して包囲しました。
また、細川高国は若狭守護の武田元光に援軍を要請しています。
なお、11月5日なって、細川勢の内藤国貞が、波多野氏に同情して包囲から離脱しました。

神尾山城

そして、11月30日、黒井城主の赤井五郎(赤井忠家か赤井時家と推定される)が3000を率いて神尾寺城の包囲軍の背後から襲撃して細川勢を敗走させました。
そのため、八上城の包囲軍も12月1日に撤退していますが、その退却中に、阿波守護・細川晴元と通じていた池田弾正が寝返り、瓦林修理亮らに一斉に矢を射かけたため、細川尹賢らは京へ逃散しました。

そして、柳本賢治は翌年には京へ攻め上り桂川付近でも合戦となったため、一連の戦いは神尾山城の戦いと言うより「桂川原の戦い」(かつらかわらのたたかい)として知られます。
波多野稙通や三好勝長、三好政長の連合軍に敗れた細川高国は、将軍・足利義晴を奉じて坂本城に逃げ去り、細川晴元が入京することになります。

この結果、堺公方となった足利義維、細川晴元を首班とした堺公方府が成立しますが、柳本賢治は山城守護代になった三好元長と対立します。
1528年、細川晴元に諫言して、畠山稙長が拠る誉田城を攻めるなどしたため、三好元長は怒って阿波に戻りました。

更に柳本賢治は、細川元長に従っていた赤沢幸純や、摂津・伊丹城の伊丹元扶を攻略しました。
この契機に、巻き返しを図った細川高国が、伊勢の北畠氏や、備前の浦上村宗に上洛を促し、近江亡命中の将軍・足利義晴を還京させようとしたため、柳本賢治は細川高国に味方しますが、堺の足利義維と細川晴元に拒絶されたため、剃髪して謝罪しました。

1530年、別所就治の要請に応じて柳本賢治は出陣し、小寺氏、別所氏と合流して依藤城の戦いに加わりましたが、東条谷の玉蓮寺の陣中で死去しました。
酒に酔っていたところを、陣所に忍び込んだ、大和の山伏・浄春坊に殺害されたともされます。
指示したのは、浦上村宗の被官・中村助三郎とされ、細川高国と浦上村宗から感状が発行されたと言います。

なお、1531年、大物崩れで細川高国と浦上村宗が敗死し、三好元長、赤松政祐、別所就治らの勢力が盛り返します。
そして、子の柳本甚次郎は、1532年に居城であった京都・三条城で、三好元長が率いる阿波勢に討ち取られました。
家臣の山村正次は、細川晴元に従っています。


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その後、神尾山城の動向は一時不明になれますが、1546年には、細川晴元が三好長慶が擁立した細川氏綱(細川尹賢の子、細川高国の養子)に敗れて、神尾山城へ没落したとあります。
そのあと、細川晴元は丹波を出て、摂津・神呪寺城、越水城へと移ります。

そのあとは、1553年に、丹波・八木城主である内藤国貞が、波多野秀忠らの攻撃を受けて八木城を攻め落とされ、本目城に逃れますが討死にしたと言う記録もあります。

神尾山城

明智光秀が丹波攻めを行った際には、八上城攻めの中継基地として「本目の城」を使ったとの史料もあり、城の改修も行われたようです。
1579年、八上城主になっていた波多野秀治・波多野秀尚の兄弟は、明智光秀に降伏しますが、このとき、波多野兄弟が一時この本目城に連行されたともされます。


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今回、明智光秀の首塚がある谷性寺から、籾井城への移動の際に、たまたま、通りがかったため、遠景写真だけ撮影致しました。

登城口は、金輪寺までクルマで登れて、本堂の右奥から主郭曲輪まで比高30m程で徒歩約20分とされます。
駐車場は5台程度となっています。
なかなか楽しそうな山城ですので、機会があれば登ってみたいところです。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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