新潟県

栃尾城 越後の龍・上杉謙信「旗揚げ」の山城

栃尾城

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栃尾城(とちおじょう)は、新潟県長岡市栃尾にある標高228mの鶴城山に築かれた、比高157mの山城です。
別名は、大野城、舞鶴城とも言い、上杉謙信が幼年~青年期を過ごした城として有名です。

最初の築城は不明ですが、鎌倉時代には佐々木氏、執権・北条氏の一族が麓に館を構えていたようです。
その後、詰め城でもあったと考えられる栃尾城は、南北朝時代に芳賀氏によって築かれたと言われます。
宇都宮城主・宇都宮氏綱の家臣だった芳賀高名(はが-たかな)の活躍もあり、宇都宮家が上野国・越後国の守護職となります。
そのとき、芳賀禅可の子・芳賀高貞と芳賀高家は越後国守護代として越後に入りました。


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しかし、貞治元年(1362年)に上杉房顕が関東管領になると状況は一変し、足利基氏は宇都宮氏綱の越後守護職を上杉房顕に与えました。
これに激高した芳賀高貞・芳賀高家は、上杉房顕と武蔵・苦林野の戦いとなり、敗れたため、越後から真岡城へ撤退したようです。

その後、上杉家が越後守護になると、越後の守護代は長尾氏となり、長尾景春が蔵王堂城などに入りました。
長尾氏は勢力を強め、一族の古志長尾氏が栖吉城に入り、栃尾城には城代として本庄実仍が入っています。

栃尾城

下記は、麓の栃尾諏訪神社の入口にある石碑です。

栃尾城

この諏訪神社の裏手が登城口となっていますが、クルマで舗装されている林道を上がって、栃尾城の二の丸付近に駐車スペースがあります。
下記から登ると片道15分ほどで栃尾城の本丸です。

栃尾城

上杉謙信は、もともと春日山城で生まれましたが、実父・長尾為景に疎まれて栃尾城に置かれます。
1543年、上杉謙信14歳の時で、本庄実乃から軍略も学びました。
父のあとを継いだ兄・長尾晴景に越後をまとめる能力はなく、越後守護・上杉定実が勢力を回復し、若輩の上杉謙信を刈るんじた、三条城主・長尾平六郎(長尾俊景)、黒滝城主・黒田秀忠らが越後・栃尾城を攻めました。

栃尾城

この時、15際の上杉謙信は、僅かな城兵を二手に分けて、一隊に傘松に陣を張った敵本陣の背後を急襲させました。
後ろからの攻撃に混乱した敵軍に対し、さらに城内から討って出て、見事壊滅させることに成功します。
初陣にも関わらず、並外れた指揮をとった上杉謙信の名は一気に広まり、その後も連勝を重ねて、長尾家に反する勢力を駆逐して行きました。

栃尾城

上杉謙信が春日山城に入ると、本庄実乃も従って春日山城下に移ったため、以後、栃尾城には本庄玖介、宇野左馬充などが配置されて「栃尾衆」が編成されました。

栃尾城

御館の乱では、栃尾城主・本庄秀綱が、上杉景虎(北条三郎)について、1578年5月に上杉景勝勢の直江信綱を攻め、9月には御館に入っています。

栃尾城

その後、上杉景勝が押してくると、本条秀綱は栃尾城に戻って籠城しました。

栃尾城

上杉景虎(北条三郎)が堀江宗親を頼った鮫ヶ尾城にて裏切られて自刃すると、1580年4月、上杉景勝は三条城を平定し栃尾城を攻めたため、本庄秀綱(本庄清七郎)は山伝いに栖吉城に逃れたあと、会津に落ち延びています。
その後、栃尾城には上田衆の出身者が配置されており、佐藤忠久(佐藤甚助忠久)が栃尾城に入っています。
下記は栃尾城の本丸です。

栃尾城の本丸

1598年、上杉景勝が会津移封となると、越後・福島城に入った堀秀治の家臣・神子田政友が10000石で栃尾城主になっています。
山頂からの視界は良く、栃尾盆地が一望できます。

栃尾城からの展望

現在でも、土橋、複数の堀切、石積、郭跡や竪堀の遺構などが残っています。

栃尾城の本丸

特に主要部の遺構はほぼ現存しているのが素晴らしいです。
慶長15年(1610年)堀氏が改易となると廃城になりました。

栃尾城

また、城下町は現在でもその風情を残しております。

栃尾城の城下町

交通アクセスは当方のオリジナル地図にてご確認を賜りますと幸いです。

また、栃尾城跡の麓にある秋葉公園の西側に、上杉謙信の銅像(座像)があります。
麓と申しましても結構な山のうえにあります。

栃尾城近くにある上杉謙信の銅像

その秋葉公園から栃尾城も撮影してみました。

栃尾城

秋葉公園には謙信の隠れ岩も再現されています。

謙信の隠れ岩

あと、与板は「油揚げ」が名産なようで、街のあちこちにお店がありました。


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栃尾城の見学所要時間ですが、中腹の駐車場から往復で30分~40分といったところです。
トレッキングポールは、無いよりはあった方が安全面も良いです。
秋葉公園も見ますと時間はプラスアルファ願います。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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