新潟県

越後・福島城 はかなく短命に終わった巨大な越後福嶋藩庁

越後・福島城

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越後・福島城(ふくしまじょう)は新潟県上越市にある平城です。

1598年、上杉景勝が会津へ転封となり、北ノ庄城から春日山城堀秀治が45万石にて入ります。
1600年、堀秀治は越後国一揆(上杉遺民一揆)を鎮圧し、江戸時代に入ると、山城では政庁に不向きとなり、直江津の港近くに、この「越後・福島城」の築城を開始しました。

越後だけでなく、各地で山城を廃して、広大な平城を築城するのがブームになる訳ですが、これは、山城では政治に不向きと言うことだけでなく、大砲の発達により、弾が本丸に届かないと言う広大な敷地で防御すると言う「総構え」の必要性もあったからとなります。

1606年、堀秀治が急死したあと、子の堀忠俊が引き継ぎ、1607年に福島城が完成して、春日山城は廃城となりました。


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江戸時代初期の典型的な築城形式の大城郭だったようで、春日山城下や府中からも、多くの町人らを城下に移住させたと伝わります。

ただし、僅か12歳の堀忠俊は僅か12歳で藩主となったため、後見人の堀直政が死去すると家中が乱れて内紛となり、三条城主・堀直清と坂戸城主・堀直竒が争います。
その結果、領地を没収され堀忠俊は鳥居忠政にお預けとなりました。

このように、慶長15年(1610年)堀忠俊が改易されると、松平忠輝が30万石にて福島城に入りました。

越後・福島城

しかし、松平忠輝は海岸横の福島城では、波の音がうるさくて寝られないともされる理由で、内陸部に新城を築くことになります。
移転の理由としては、毎年、梅雨の時期に関川・保倉川が氾濫して、水没するからともされますが、もし、そうだとしたら、こんなところに最初から築かないような気も致しますが、越後の武将にだまされたのかな?

なお、新しい越後・高田城は、徳川幕府の天下普請によって築かれ、1614年、関川の脇に完成し、福島城は廃城となりました。

商人らは、再び、高田城下へと移転を強いられたと言います。
全体像や建造物についてはわかっていませんが、発掘調査の結果、本丸跡東南隅土塁と隅櫓礎石、土塁の腰巻石が僅かに認められています。

下記は近くにある古城公園ですが、遺構は見当たりません。

越後・福島城

上越市立古城小学校付近が本丸跡と考えられ、遺構はありませんが、福島城址の石碑が設置されています。

越後・福島城

ただし、平日は学校敷地への立ち入りは禁止です。
学校がお休みの日であれば、校門から入って城址碑の近くで見学可能らしいです。

交通アクセスですが、直江津駅の北口から頸城バスにて、古城公園バス停下車の徒歩6分です。
直江津駅から歩くと20分くらいのようです。

福島城資料館は、現在、古城小学校の校舎内に移転しており、土日祝日のみの開館となっています。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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