新潟県

越後・与板城 直江信綱と本与板城も【登城攻略】

与板城

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与板城(よいたじょう)は新潟県長岡市与板にある山城です。
標高は104m、比高は85mほどになります。

ただし、最初は与板城よりも北に2kmほど離れた山を城としていたようで、古い城は「本与板城」として区別されています。

本与板城(もとよいたじょう)の築城時期は不明ですが、南北朝時代の1334年に、新田氏の一族である籠沢入道が築城したと伝わります。


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その後、越後守護・上杉氏の重臣である飯沼氏の居城となりました。
永正4年(1507年)に、越後守護代・長尾為景と越後守護・上杉房能が争った永正の乱では、長尾為景が本与板城を攻めて飯沼頼清は没落しました。
そして、長尾氏の家臣・直江実網(直江景綱)が本与板城に入っています。

本与板城

戦乱の世では防御に優れた城が必要となり、直江景綱は2km離れた山に新城を築いたため、そちらが一般的に与板城と呼ばれます。

与板城

遺構としては、曲輪跡、堀切・土塁・井戸跡、お船の方が用いた清水(おせん清水)などが残っています。

なお、比高60mほどの本与板城は支城(出城)として機能していたともされます。

本与板城

1536年8月、長尾為景は嫡子・長尾晴景に家督を譲ります。
しかし、長尾晴景の器量不足を不満とする家臣や国人らは、長尾晴景の弟で栃尾城に入っていた長尾景虎上杉謙信)を擁立しようとし、直江実綱も協力しています。
この内紛を憂いた越後守護 ・上杉定実が両者を調停して、1548年、長尾景虎は長尾晴景の養子となって、越後守護代の長尾家を継ぎ、栃尾城から春日山城に入りました。


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直江信綱

直江信綱(なおえ-のぶつな)は、上野国の蒼海城(総社城)を本拠とした総社長尾家・長尾顕方の9男とも、長尾景秀の次男ともされま。
与板城主・直江景綱の娘・お船と結婚し、養子となって、1577年に直江景綱が死去すると直江氏の家督を継いで上杉謙信に仕えました。
長尾藤九郎、直江与兵衛尉信綱とも書きます。

1578年に、上杉謙信が急死し、御館の乱になると、直江家は上杉景勝に味方し、直江信綱は春日山城に籠りました。
また、本拠地の与板城では、黒滝城主・山岸光祐、赤田城主・斎藤朝信ら、直江家の一族や与板衆を動員して、本庄秀綱の栃尾城を攻撃するなど、上杉景虎(北条三郎)派の討伐を行っています。
この功績により、上杉景勝のもとでも重用されました。

しかし、上杉家では上田衆が厚遇しており、天正9年(1581年)、栖吉城城主・河田長親の遺領を巡るトラブルにて、春日山城内で会談中のところを、毛利秀広が山崎秀仙を殺害した際に、直江信綱も巻き込まれて死去しました。
なお、毛利秀広は居合わせた岩井信能・登坂広重に討ち取られています。

そのため、上杉景勝は、重臣の直江家存続のため、未亡人となったお船の方(25歳)と、上杉景勝の側近である樋口兼続(22歳)を結婚させて、樋口兼続に直江家を継がせました。
こうして樋口与六は直江兼続と改名し、越後・与板城主となりました。

1598年、上杉景勝が会津に移封となると、直江兼続は米沢城にて30万石となり、与板城は廃城になった模様です。
なお、与板城跡には、、直江兼続が米沢に移る際に、家臣が植樹したとされる「城の一本杉」があります。

あと、江戸時代の1634年に、越後・長岡藩主である牧野忠成の次男・牧野康成が1万石を分知されて、与板藩を立藩しました。
このとき、麓に藩庁として与板陣屋を築いています。
幕末の1868年、戊辰戦争になった際に、奥羽越列藩同盟軍が与板陣屋を攻撃したため、焼失しています。

本願寺新潟別院の山門は、与板城の大手門を移築したものです。

与板城の大手門

見た感じ、江戸時代に設けられた与板陣屋の門のような気も致しますが、与板城と記載されているので、与板城の大手門と信じておきます。
あと、どこにあるのかは不明ですが、与板城の切手門も寺院に移築されているようです。

与板城への交通アクセスですが、JR上越線・JR信越本線の長岡駅または見附駅からバスとなります。
長岡駅からの場合、長岡駅大手口バス停12番線から、与板行きバス乗車して「与板仲町」バス停下車し、与板城の登城口まで徒歩20分となります。

本与板城

この辺りも新潟のコメどころですので、昔から豊かだったことが分かります。

無料駐車場は、城山より北側の少し離れた場所にあります。
八坂神社の背後から登城できます。
夏は蚊が多いと言うので、虫よけスプレーは必須です。
下記の写真は虫がたかってくるので、ピンボケになってしまいました。

本与板城

本与板城への交通アクセスですが、舗装された林道の途中に4台ほどの駐車スペースがあります。

本与板城

そこから、山に入って登っていくと本丸です。

ただ、例によって、その駐車スペースを行きすぎました。
他の城跡の印象と混同し、もっと大きい駐車場所だと思っていまして、そのまま林道を進みましたら、やがて、砂利道へと変わり、バックで500mほど戻りました。
いつもこんな感じです。(^-^)
大きなクルマを買えない理由のひとつでございます。
今回は、越後・北条城でも、バックで戻っています。

以上、与板城と本与板城は、当方のオリジナル地図にて、駐車場など分かるようにしてあります。

あと、直江兼続の像が、与板歴史民俗資料館の入口前にあります。

直江兼続の像

直江兼続~戦国の上杉家を支えた智勇兼備の名将
お船の方・貞心尼~直江兼続の正室
栃尾城 越後の龍・上杉謙信「旗揚げ」の山城
御館の乱 上杉謙信死後の壮絶な跡継ぎ争い
春日山城 戦国の息吹を感じ妄想も広がる山城
栖吉城 越後・長尾家一門筆頭の居城
上杉謙信の解説~越後の龍と呼ばれた長尾景虎・上杉景虎の人物像に迫る
米沢城 上杉神社【続日本100名城】
上杉景勝(詳細版)~豪毅果断・潔白謹厳な武将


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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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