新潟県

佐渡・雑太城 佐渡最大の城跡である妙宣寺と日野資朝の墓

佐渡・雑太城

佐渡・雑太城は「さわだじょう」と読みます。
新潟県佐渡市阿仏房にある比高13m前後の平山城で、雑田城、竹田城、檀風城とも言います。

要害性は低いですが、佐渡にしては規模が大きな城で、三郭から成っており、沢を挟んだ南東には大川城、南西には国分城と支城でも囲まれています。

最初の築城は不明ですが、雑太城は、佐渡守護代として入った本間能久の佐渡・本間氏の本拠地となり、代々、嫡流(本流)の城となりました。





佐渡・本間家としては、横山党の小野季兼の孫で、海老名季久の弟が、相模国愛甲郡依知郷本間を知行し、本間義忠(本間能忠)と称したのが始まりです。
その本間能忠の子・本間忠家は遠州・本間氏の祖となり、のちに本間能久(本間義久)が、佐渡守護代となって佐渡・本間氏の祖となりました。
ちなみに、佐渡守護は大仏北条氏で、その被官が本間能久(本間義久)であったと言うことになります。
本間家は雑太城を本拠として佐渡での最大勢力となり、いくつも支流(庶流)を排出しました。

佐渡・雑太城

佐渡・雑太城での嫡流(雑太本間家)の当主としては、下記のように続きました。

本間能久、本間忠綱、本間宗忠、本間泰定、本間頼直、本間泰宣、本間有直、本間直冬、本間有重、本間重直、本間泰重、本間泰直、本間泰時、本間有泰(1552年没)、本間泰高(1587年没)、本間憲泰(1623年没)、本間泰秀(1655年没)、本間大吉(1667年没)

惣領家以外では、河和田城の河原田本間氏や、佐渡・羽茂城(はもちじょう)の羽茂本間氏、あとは久知本間氏と合計4つの本間氏が勢力を誇りました。、

戦国時代、本間憲泰のとき、豊臣秀吉の命を受けた春日山城上杉景勝は、1589年6月12日に、出雲崎から数百艘の船で沢根に上陸し、翌日には河原田城を攻略。
このように、上杉景勝が自ら侵攻して佐渡を平定しました。
抵抗した羽茂城の本間家である羽茂高貞、羽茂高頼は討死しています。
この時、上杉家は佐渡国を直轄地としたため、本間一党は所領没収となり、直江兼続によって雑太城は廃止され、城跡は妙宣寺に与えられ、本間氏は没落しました。
そのため、現在の佐渡・妙宣寺(みょうせんじ)が、雑太城跡と言うことになります。

妙宣寺の境内には、新潟県内で唯一の五重塔が、国の重要文化財に指定されています。
江戸時代に約90年掛けて建設された五重塔ですが、最後は資金難のため、一部が未完成となっていると言いますが、見た感じはわかりません。

佐渡・雑太城

なお、本間大吉は、佐渡奉行所の役人となったため、佐渡・相川に移住しています。

あと、妙宣寺には日野資朝の墓があります。

この日野資朝(ひの-すけとも)は、鎌倉時代末期の公卿で、後醍醐天皇の側近として権中納言を努めていました。
そして、鎌倉幕府を倒す計画に参加したことが露見し、一族の日野俊基らと捕縛されて鎌倉に送られたあと、1325年、佐渡島に流罪となりました。
このとき、日野資朝の身柄を預かったのが、佐渡・雑太城主の本間山城入道でした。
本間山城の正式名は、本間泰宣です。

日野資朝の子で、13歳の阿新丸(くまわかまる)は、はるばる佐渡に渡って父との対面を願い出ますが許されません。
そんなおり、後醍醐天皇が再び倒幕を目論見、笠置山にて挙兵しましたが、結局捉えられて隠岐へ流罪となり、日野俊基は鎌倉で斬首となりました。
このため、佐渡には日野資朝を処刑するようにと幕府からの命令が届き、1332年、本間三郎の手により日野資朝は斬首となっています。享年43。
下記は境内にある日野資朝の墓です。

日野資朝の墓

阿新丸は、父に合うことすら叶わず、そして父の無念を晴らそうと本間氏の館に潜入して、寝ていた本間三郎を討ち取ったと伝わります。
※本間山城入道を暗殺しようとしたが失敗したとも。
城内にて追手が迫った阿新丸は、松の木に隠れていたところ山伏・大膳坊に助けられて、虎口から脱出し、野浦の港から船に乗って敦賀に逃げ延びたとされます。

佐渡は、仮にも佐渡国として一国の扱いであり、それなりに歴史もあるのですが、イマイチ、佐渡・雑太城が佐渡観光に活かされていないのは、少し残念に感じます。

現在でも、土塁や空掘などの遺構が残っていますが、雑太城跡となる妙宣寺は境内自由で、無料駐車場もあります。
新しいトイレも完備しています。

佐渡・雑太城

近くの佐渡・新穂城などとセットでどうぞ。

佐渡ヶ島は3回目の訪問ですが、城跡メインなのは、今回が初めてです。
始発のジェットフォイルので乗り込み、両津からレンタカーを借りて、最終便までの時間、1日であちこち回らさせて頂きました。

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