新潟県

佐渡・新穂城(下新穂城) 村殿と呼ばれた言わば村長さんの館

佐渡・新穂城(下新穂城)

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佐渡・新穂城(にいぼ-じょう)は、新潟県佐渡市下新穂と上新穂にある平城で、大野川の下流にある沖積地帯に構築されており、下新穂城とも書く場合があるようです。
最初の築城などは全く不明ですが、鎌倉初期には、鎌倉御家人の土屋氏がこの付近を支配していました。

館を土塁で囲んで、その外側には丸みを帯びた水堀を巡したようで、地頭配下の村落を代表する土豪「村殿」の館跡となります。
郭のまわりには小門、中仙道、表、押上げ、横丁などの通りの名前や城郭に関わる地名が残されています。
下記のように今でも池が残っていますので、かつては湿地帯だったのでしょう。

佐渡・新穂城

その後、雑太地頭(雑太城)の本間氏の配下である村殿(土豪)の館になったと考えられています。

文安年間(1444年~1449年)の城主としては、新穂有時(夷本間文書より)がいます。
戦国時代には本間貞有(本間備前守貞有)、本間正明(本間和泉守正明)が見受けられます。

佐渡・新穂城

1589年、上杉景勝が佐渡に侵攻した際に、佐渡・新穂城は廃城となったようです。

佐渡・新穂城

駐車場はありませんが、新穂城跡の南西隅の路肩が広く駐車可能です。
両津港から車で20分、小木港から車で45分、赤泊港からは車で45分となります。
当方のオリジナル地図ポイント地点は、佐渡・新穂城の案内板があるところになります。


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新穂村には、村殿の居館と思われる平城が、いくつもあります。
基本的に、旧村ひとつに、1つの館(城)があったようですので、かなり細かく統治した模様です。
城と城によっては、数百mしか離れていなかったりします。

新穂村上新穂字城の下には「上新穂城」があり、新穂城(下新穂城)の新穂殿(本間和泉守)の詰の城だったとされます。
新穂村大野字外城には「佐渡・大野城」があり、本間十郎高納の居館とされますが、近くには別途、大野館跡もあり、旧城かも知れません。
新穂村潟上字城の上には「潟上城」があり、葉梨氏が潟上殿と呼ばれています。
新穂村潟上には旧城の「潟上古城」があり、古城間歩銀山になっていました。
潟上殿は、沢根殿と共に上杉景勝に協力したため、米沢藩士として残ったようです。
新穂村竹井字丸城には「竹井城」があり、城主は竹井・本間氏です。
新穂村長畝には「東光院館」がありますが、 佐渡トキ保護センター入口のすぐ西側に位置します。
新穂村北方には「北方城」があり、
新穂村大野蛭ヶ河内には「蛭ヶ河内城(北方山城)」があり、北方城の詰の城となり、上杉景勝の佐渡攻めの際には籠城戦となりました。
新穂村船下字城ノ内には「舟代城」があり、河原田本間氏の家臣で石田郷の梶原源左衛門が、養子・松寿丸に河原田本間氏の娘と結婚させ、本間源輔春道と名乗ったとあります。
新穂村皆川字城ノ内には、「佐渡・皆川城」があり、皆川殿とよばれる村殿がいたとされます。
このように、取り上げると、佐渡の城は、キリが無いです。


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佐渡ヶ島は3回目の訪問ですが、城跡メインなのは、今回が初めてです。
始発のジェットフォイルので乗り込み、両津からレンタカーを借りて、最終便までの時間、1日であちこち回らさせて頂きました。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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