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大多喜城とは【続日本100名城】本多忠勝の居城

大多喜城

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大多喜城の解説

大多喜城(おおたきじょう)は、千葉県夷隅郡大多喜町にある平山城続日本100名城にも選ばれました。
別名は大滝城とも書きますが、最初は小田喜城(おだきじょう)と名づけられたようです。
戦国時代の1521年に真里谷信清が小田喜城を築城したのが始まりとされています。
真里谷朝信が小田喜城主だった1544年に、里見義堯の家臣・正木時茂((正木時綱子)が、真里谷朝信を討って、小田喜城を居城としました。
その後、正木信茂、正木憲時と続きますが、1574年、里見義堯の死後し里見義弘に従っています。
しかし、北条氏政の支援を受けた里見義頼が反乱を起こし、里見義弘に従っていた正木憲時・太田康資などは家臣らに殺害されてしました。


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その後、小田喜城(大喜多城)には、里見義頼の家臣が城代として入っています。

里見義頼の長男・里見義康は、1590年の小田原攻めの際に、独自に行動したみとから惣無事令違反に問われて、豊臣秀吉の命にて、安房4万石に減封されます。

として、江戸城に徳川家康が入ると、大多喜城主には10万石で本多忠勝が入りました。
当然、里見氏への備えとしてですので、この時に大多喜城の大改修をおこなったようです。

大多喜城

城下町を整備して、3層4階の天守も設けたとされていますが、皆さまご承知の通り、本多忠勝は稲姫(小松姫)の父ですので、真田丸真田信之とも縁がある話です。
本丸には土塁も多少見受けられます。

大多喜城の土塁跡

下記は大手門付近の堀跡ですが、あまり良く分かりません。

大多喜城の大手門跡

大多喜城の堀跡

二の丸には大井戸が残されています。
ちなみに二の丸は大喜多高校になっています。

大多喜城の大井戸

1600年、関ヶ原の戦いにて奮戦した本多忠勝は、桑名藩10万石で移り、残った大多喜藩は本多忠勝の次男・本多忠朝が5万石で継ぎました。

大多喜城

1609年、スペイン船サン・フランシスコ号が房総・御宿で難破した際には、本多忠朝も300の家臣を引き連れて支援しています。
本多忠朝は1614年に破却した安房・館山城の破壊も、佐貫城主・内藤政長と共に務めています。

大多喜城

しかし、1615年、大阪夏の陣にて毛利勝永に突撃した本多忠朝は討死したため、遺児・本多政勝がのちに大和郡山藩5万石となりました。

このあと、大多喜藩は「廃藩」を繰り返したため、大多喜城は荒れたようで、1671年12月に阿部正春が1万6000石で大多喜城に入った際には、江戸幕府から「大多喜城は、塀すらない単なる城跡になっているので再建するように」と命を受けています。

大多喜城

その後の隠密の調査でも、塀がまだない状態との記録もあり、多少の建物や天守は再建したようですが、荒廃していたようです。

大多喜城の塀

1842年には、その天守も焼失したため、のちには2階建ての「神殿」と呼ばれた建物が天守の代わりに建築されたとあります。

明治に入ると大喜多城は破壊されて、本丸も削平されました。

大多喜城

現在の天守は1975年(昭和50年)に再建した天守で内部は資料館ですが、1835年の絵図を元に外観を復元しています。

大多喜城

なお、資料館は有料です、内部では甲冑体験コーナーもあります。
ただし、展示資料はすべて撮影禁止です。

大多喜城

大多喜城への交通アクセス

大多喜城への交通アクセス・行き方ですが、大多喜城の無料駐車場は下記の地図ポイント地点となります。
一方通行などもある大喜多の複雑な城下町を抜けて行く形となりますので、カーナビで指定するか、地図を良く見て出かけましょう。
地図は縮尺を変えてご覧願います。

圏央道も繋がり、大多喜城へも大変行きやすくなりましたので、東京や関東から是非訪れてみて下さい。
観光所要時間は資料館も見学して30分~40分といったところです。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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