三重県

伊勢・岩出城の解説~4万5700石で稲葉道通が居城とした宮川に近い平城

伊勢・岩出城

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伊勢・岩出城

伊勢・岩出城 (いわで-じょう) は三重県度会郡玉城町岩出にある平城で、標高16m、比高6mの微高地になっている。
南側に宮川が流れており、かつては川の脇にある小高い場所にあったものと容易に推測できる。

伊勢・岩出城

平安時代後期から南北朝時代初めには伊勢神宮祭主・大中臣氏「岩出祭主家」の館があった場所であり、1469年には岩崎長官左近大夫安法と言う名が見られるが、現在周囲は水田となっている。
北畠氏が伊勢神宮領を支配する(税を収めなくなる)と戦国時代には田丸直昌の居城となった。


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北畠一族である田丸直昌は1575年、北畠具豊(織田信雄)が北畠家の家督を継いだので、居城の田丸城を織田信雄に明け渡した。
そして、新しく岩出の地に岩出城を築いて自らの新しい城としたわけだ。
また、蒲生賢秀の娘(蒲生氏郷の妹)を正室にして岩出城にて暮らした。
翌年の1576年11月、織田信雄の命により、長野具藤(北畠具教の次男)、北畠親成(北畠具教3男)・坂内具義(北畠具教の娘婿)の3名を田丸城に招き寄せると日置大膳亮・土方雄久・森雄秀・津田一安・足助十兵衛尉・立木久内らが殺害を実行した。(三瀬の変)
このとき、田丸直昌(田丸中務少輔直息)は特に咎めも無いので織田氏に協力していたものと考えられる。

田丸直昌は小牧・長久手の戦いの頃から蒲生氏郷の与力となっており、1590年、豊臣秀吉小田原攻めのあと蒲生氏が会津若松城に移ると、田丸氏は須賀川城主となった。
そのため、伊勢・岩出城には2万650石にて牧村利貞(牧村兵部大輔利貞)が入っている。
牧村利貞が朝鮮攻めの際に病死(享年48)すると、豊臣秀吉の命にて異母弟・稲葉道通(稲葉蔵人道通)に岩出城が与えられた。

稲葉道通

稲葉道通(いなば みちとお)は戦国時代の武将で稲葉重通の4男として1570年に生まれた。
母は吉田浄忠の娘で、兄に牧村利貞、稲葉通重、稲葉道通がいる。
長兄・牧村利貞は、母(牧村政倫の娘)の実家の美濃・牧村城を継いでいた。
1598年に父・稲葉重通が亡くなると次兄・稲葉通重が本家の美濃・清水城(2万300石)を継いでいる。
ちなみに、父・稲葉重通は稲葉一鉄稲葉良通)の庶長子であり、春日局(お福)の叔父でもあり養父にもなっていた。
前述したとおり。異母兄・牧村利貞が死去すると稲葉道通が伊勢・岩出城を継いだ。
また、伏見城の工事の功績により5700石の加増と豊臣姓を下賜されている。
正室は日根野盛就の娘で1603年に次男・稲葉紀通(いなば のりみち)が生まれている。

豊臣秀吉亡き後、岩出城の稲葉道通は木材を大阪方面に海上輸送する際、鳥羽城の九鬼嘉隆に「通航税」を払うのを拒否。
稲葉道通は九鬼嘉隆が朝鮮出兵した際の論功行賞においても、豊臣秀吉が九鬼嘉隆に恩賞を与えようとした際に反対するなど九鬼氏に対抗した。
徳川家康も稲葉道通を支持したため、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで九鬼嘉隆は西軍となり、稲葉道通は徳川家康に味方した。
そのため、伊勢・上野城分部光嘉安濃津城の富田信高ら伊勢に戻ると、安濃津城の戦いにて西軍の九鬼嘉隆・堀内氏善らと戦っている。
九鬼嘉隆は鳥羽の答志島にて自刃。
稲葉道通は4万5700石となって伊勢・田丸城に移った。


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しかし、亡き牧村利貞の維持・牧村牛之助が15歳になっても家督を譲らず、次男・稲葉紀通を後継者としたため牛之助が不満を抱く。
そのため、1607年、稲葉道通は牛之助を殺害する刺客を送るなど非道な面も見受けられる。
1607年12月12日、稲葉道通は伏見で死去。享年38。
牛之助を暗殺してから半年足らずでの若死でもあったため牛之助の呪いともされた。
家督は稲葉紀通が継ぎ福知山城に移ったが、狩りの獲物が得られなかったとして近隣村民60人を殺害するなどの凶行を江戸幕府に責められて鉄砲で自害し、改易(所領没収)となっている。

交通アクセス

伊勢・岩出城への行き方だが、JR参宮線の田丸駅からで徒歩40分。
クルマの場合駐車場がないが農道は駐車禁止ではない。
田植えや刈入れの時期を外して訪問させて頂いた。
案内板がある場所を当方のオリジナル地図「名古屋・北陸」方面にてポイントしている。
アプローチの道路は何箇所か曲がるのでスマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定するのをお勧めしたい。(徒歩ナビとしても可能)

近くの田丸城とセットでどうぞ。

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城迷人たかだ

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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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