三重県

伊勢・上野城の解説~分部光嘉が築いたとされる河芸の城跡

伊勢・上野城

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伊勢・上野城とは

伊勢・上野城(うえのじょう)は、三重県津市河芸町上野の本城山にある標高38mの平山城で別名はなし。
最初の築城は不詳だが、戦国時代の1570年に、伊勢・津城安濃津城)の仮城として織田信雄の命を受けた分部光嘉が築いたとされる。
麓には伊勢街道が走り、伊勢湾を一望できる。
阿波・上野城のほか尾張・上野城、伊賀・上野城など近隣県にも同名の城跡があるため混同しないよう注意が必要。

分部光嘉

分部光嘉(わけべ みつよし) は戦国時代の武将で細野藤光の子として1552年に生まれた
母は伊勢・峰城主である峰道正の娘で、兄に細野藤敦がいる。
伊勢・細野城の細野氏は伊勢・長野氏(長野工藤氏)の一族で雲林院城、草生城、家所城などを支配。
父・細野藤光は弘治年間(1555年~1558年)に安濃城を築くと本拠を移していた。


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伊勢・長野一族は1558年に北畠氏から長野具藤を養子に迎えて北畠家に臣従。
しかし、兄・細野藤敦は長野具藤と仲が悪く、永禄11年(1568年)、織田信長が伊勢侵攻を開始すると兄・細野藤敦は安濃城にて抵抗した。

そのため、分部光嘉や弟・川北藤元らは織田家に内応し、兄・細野藤敦が北畠から織田家に寝返ったと讒言し、長野具藤に細野藤敦を攻撃させた。
その結果、兄・細野藤敦は北畠氏も敵にしたため、長野具藤を追放して織田家に降伏している。
こうして、長野氏は伊勢に入った織田信包に従うようになり、1567年に16歳だった分部光嘉は2か所の傷を受けながら戦功がある。

伊勢・上野城

なお、1569年、一族の分部光高が織田勢として北畠攻めに参じた際に討死。
そのため分部光嘉は、分部光高の妹(分部光高の養女)と結婚して婿養子となって分部家を継承した。
1571年に嫡男・分部光勝が誕生している。

伊勢・上野城

その頃、すでに分部氏が伊勢・上野城を機能させていたとも考えられるが、家督を継いだ分部光嘉ははじめ三重県津市栗真中山町を本拠としている。(伊勢街道が通る逆川神社付近と考えられるが伊勢・中山城の場所は不詳のようだ)
そして、伊勢・上野城を整備したと言う事なのだろうが、織田信包は新しく安濃津城(伊勢・津城)が完成するまでの仮城として伊勢・上野城に入った。
1574年に、お市の方、茶々、初、江の三姉妹が織田信包の伊勢・上野城にて暮したとされるが、今では尾張・守山城の織田信次に預けられたと考えられているようだ。
1580年、安濃津城が完成すると織田信包のあと分部光嘉が伊勢・上野城を預かった。

伊勢・上野城

織田勢として分部光嘉は、1581年、第二次・天正伊賀の乱、松ヶ島城の戦いでも武功を上げ、その武勇は服部正成から徳川家康、富田知信(富田一白)や津田盛月から豊臣秀吉へと伝わったと言う。

1594年、織田信包が改易されると分部光嘉は3000石にて豊臣家の直臣となり、1598年に加増されて1万石の大名となっている。

1600年、関ヶ原の戦いの際には徳川家康に従い小山評定にも参加し、その後、安濃津城の富田信高とともに安濃津城て籠城。
西軍として押し寄せた毛利秀元長束正家らの攻撃を受けた。(安濃津城の戦い
やむなく安濃津城(伊勢・津城)は開城し、敗れた分部光嘉は高野山に入って謹慎している。

伊勢・上野城

関ヶ原の本戦にて石田三成が敗れると、安濃津城での功労が評価され、分部光嘉は本領安堵となって復帰し上で、奄芸郡内に1万石の加増を受け、2万石として伊勢・上野藩が成立した。
しかし、安濃津城の戦いでの傷がもとで分部光嘉は1601年11月29日に死去。享年50。

富田信高へ人質として出されていた11歳の分部光信(父・長野正勝、母は分部光嘉の娘)が家督継いでいる。


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現在、伊勢・上野城跡は本城山青少年公園として整備されており、本丸跡に展望台がある。
また、2階の資料室に伊勢・上野城の復元模型が展示されているらしい。
<注釈> 資料室が休館していても展望台は開放されているようだ。
ただし、夏は蚊が多いらしいので冬の訪問がお勧めか?

交通アクセス

伊勢・上野城への行き方だが近鉄・豊津上野駅から徒歩10分くらいと便利。

駐車場は本城山青少年公園にあるバーベキュー広場の無料駐車場を利用できるため、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸」方面にてポイントしている。
後援の北側に駐車場入口があるが、入口はそんなに広くなく心細ない道を入るので地図をよく見て出かけて頂きたい。

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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