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常陸・島崎城の歴史解説~鹿島神宮の大使役(鹿島大使)も務めた島崎氏

常陸・島崎城

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常陸・島崎城とは

常陸・島崎城(しまざき-じょう)は茨城県潮来市島須にある標高40mほどの平山城で、嶋崎城、竜巻城とも書く。
私の記憶が正しければ、竜巻城と言うのはさすがに日本でここだけだと思うが、かつて竜巻被害でもあったのだろうか?
いずれにせよ、常陸・島崎城は地元の皆様からとても愛されているようで、無料の駐車場がしっかり設置され、仮設ではあるがトイレも完備されている。
島崎城跡を守る会さんのご尽力によるものだろう。
当然、島崎城跡も整備が行き届いているようで、安心して散策することができるようだ。
更に、常陸・島崎氏の研究も熱心なようで島崎氏に関しては色々とわかっていることも多いと感じる。
それらの資料を参考にさせて頂くと、最初の築城としては行方高幹が築いたとある。

常陸・島崎城

そもそも桓武平氏国香流大掾氏(平高望平国香の末裔)の一族が行方氏。
平国香の子・平貞盛藤原秀郷の協力を得て平将門を倒すと、その子・平維幹は、多気山城を築いて常陸大掾を継いだ。
その曽孫・平清幹が吉田に住み、父・鹿島成幹(平成幹、大掾成幹、吉田成幹、鹿島三郎成幹)は鹿島郡の郡司となって常陸・吉田館(水戸)から移ったとされる。
この平清幹には他にも子供がいて、吉田盛幹はそのまま水戸に残り、行方忠幹(平忠幹、行方次郎忠幹)は行方氏(なめがたし)の祖となった。

行方忠幹(平忠幹)の子・行方景幹(行方太郎)は勢力を拡大し開拓していく。
この行方景幹(行方宗幹)は、源義経に従ったばかりに1184年の屋島の戦いにて討死したようで、4人の子は常陸・小高城の小高為幹(行方為幹)、島崎次郎、常陸・麻生城の麻生三郎、常陸・玉造城の玉造四郎へと分家した。(行方四頭)

1185年、源頼朝は潮来に長勝寺を創建したと言うので、行方景幹(行方宗幹)らの供養だったのかも?知れない。

常陸・島崎城を1191年に築城したのは行方景幹の子である行方高幹(たかもと)となる。
行方高幹(島崎高幹)は、承久3年(1221年)に死去。53歳。

宗家筋の小高氏が振るわず、島崎氏が行方四頭の盟主となった。


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その後、島崎政幹(まさもと) → 島崎長幹(ながもと) と続き、ここで佐竹長義の娘が嫁いでいる。
その子が島崎氏4代の島崎忠幹(ただもと)。
5代・島崎時幹(ときもと)は、1302年に鹿島大使。

6代・島崎頼幹(よりもと)は、1332年没。45歳。
7代・島崎高直(たかなお)も鹿島大使、1362年没。49歳。
弟・島崎盛時が1335年、中先代の乱の際に武蔵・鶴見の戦いにて討死。(佐竹貞義の5男・佐竹義直も討死している)
更に弟・島崎繁定も下総で討死している。

8代・島崎氏幹(うじもと)は足利尊氏より一字を拝領。
妻は武田信重の娘とされる。
9代・島崎満幹(みつもと) / 嶋崎大炊助は鎌倉公方・足利氏満より一字を拝領。
南朝小田氏らと争っており、1398年、尹良親王(ゆきよししんのう)を擁した桃井貞識(桃井和泉守貞識)を、上杉重方(上杉房方)と共に甲府?の丸山を攻めた。
1416年、上杉禅秀の乱では鎌倉公方・足利持氏に従い鎌倉にて討死。
10代・島崎重幹(しげもと) も、父と共に上杉禅秀の乱に出陣していた模様。
弟・島崎安定、島崎重国は駿河にて討死。
常陸・鹿島城を攻撃し鹿島郡も領有したほか、1526年、玉造幹綱・玉造宗幹を討って玉造氏を臣従させたようだ。
弟・島崎重時が延方の鹿島吉田神社の御輿を奉納。

常陸・島崎城

11代・島崎成幹(なるもと)は鎌倉公方・足利成氏の一字を拝領。
鎌倉時代の島崎成幹と字が同じなので混同しないよう注意が必要
12代・島崎国幹(くにもと)は1478年に死去。
13代は文武両道と伝わる島崎長国(ながくに)で、1470年、奥州より英仲禅師を招き菩提寺・長国寺を創建。
1515年に死去。65歳。
14代・島崎忠幹は、1522年に永山城(長山館の戦い)にて長山幹綱を討ち取った。
1552年、唐ヶ崎の戦いで小高貞幹を支援し、玉造宗幹勢と戦って敗退したともある。

15代・島崎利幹は、1525年江戸重通と鹿島氏の内紛に介入し鹿島義幹を追放し鹿島郡をほぼ領有した。
1536年、玉造宗幹と合戦に及び行方郡を一時制圧。(玉造城の戦い)
古河公方・足利晴氏に対抗し佐竹義篤と結んでいる。


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16代・島崎氏幹(うじもと)は、妻が小川大和守の娘・於里姫。
<注釈> 小川大和守は佐竹氏の一族と考えられる頃藤城主で、於里姫はお里の方とも呼ばれる。

1562年、常陸・小田城小田氏治と長者原の戦いで武功がある。
1570年、烟田忠幹を攻略し、1581年、江戸重通とともに鹿島城の鹿島氏幹を攻撃。
17代・島崎儀幹(島崎安定)は、1584年、常陸・江戸崎城主である土岐治頼の支援を受けた、同じ一族・麻生之幹の常陸・麻生城を攻略。(霞ヶ浦の海戦)
里見義弘の弟・里見義政を井関氏と改めて城主に据えた。
また1588年、常陸・小高城も攻撃して、佐竹義宣勢の坂源三郎ら兄弟を討ち取っている。

この頃、島崎氏の石高は4万石前後か?

1590年4月下旬、豊臣秀吉小田原攻めの際には、佐竹義宣が常陸・下総・下野の諸将を連れて小田原に参陣。
佐竹義宜は一族の佐竹義久・佐竹義憲・佐竹義尚、宍戸四郎、太田景資、額田氏、島崎義幹、長倉義興、真壁房幹、茂木治良、木場義宗(常陸・小田城)、千本氏を伴って臣下の礼をとった。 
ちなみに、大掾清幹や鹿島清秀らは参列できていない。

佐竹義宣は石田三成の軍勢に加わって、武蔵・忍城などを攻撃している。
島崎氏も忍城水攻めに駆り出されていたと考えて良いだろう。
そして、佐竹義宣は小田原に参じなかった江戸重通や大掾氏を攻め滅ぼした。

1591年、佐竹義重・佐竹義宣は「南方三十三館」と称された鹿島・行方の大掾氏一族を排除する。
鹿島城主・鹿島清秀をはじめとした、烟田城・玉造城・行方・手賀・島崎城らの一族を常陸・太田城の梅見に誘い一気に謀殺。
このとき島崎氏としては、島崎城の島崎義幹と島並館の島並幹家が殺害された。

長男・島崎徳市丸は、常陸・大生城に籠ったようで、佐竹勢との大生台の戦いに敗れ頃藤館(頃藤城)に落延びたと言う。
しかし、祖父・小川大和守の家臣である清水信濃守に鉄砲で射殺さされた。
<注釈> 島崎儀幹(嶋崎安定)と島崎徳市丸の2人は、頃藤城の小川大和守に呼ばれた際に道中で清水信濃守に撃たれたともある。

島崎儀幹(嶋崎安定)の妻・お里の方(小里姫、里見氏の娘)は舟で房総に逃れようとしたが乗船する直前に自ら命を絶ったとされる。
お花と言う若い侍女もあとを追ったと言う。

島崎義幹の次男・島崎吉晴はまだ幼かったのか、佐藤豊後守と一緒に多賀郡小豆洗に逃れ、日立に島崎姓が多い。
島崎義幹の娘(7歳)は、坂藤次右衛門に守られのち江戸にて旗本・岡田家に嫁いだとある。


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佐竹氏は新しく堀之内大台城を新築開始、小貫頼久(佐竹三家老のひとり)を島崎領に入れた。
島崎旧臣からは坂藤次右衛門(島崎に50石)、茂木兵部少輔(島崎に50石)、井関舎人丞(長山に50石)、小島與七郎(茂木堀之内に5石)が召し抱えられている。

島崎氏に限らず歴史には諸説あるので参考までとして頂きたい。
例えば、系図には多少混乱が見られるため、何代目などは異なる場合がある。

島崎氏家臣団

※1569年の時点

大平内膳 大野与一 茂木倉之助 大平主馬 今泉将監 土子伊賀守 柏崎隼人 窪谷四方之助 塙外記 鴇田兵庫 鴇田伊豆守 柏崎六左衛門 山本玄蕃 佐藤豊後守 寺田与兵衛 大川七郎入道 山野仁兵衛 鈴木主水 萩原半兵衛 米川佐渡守 原田徳太郎 原弥兵衛 瀬尾茂兵衛 茂木半之助 榊原喜左衛門 新橋道斎 根本与四郎 榊原弥次右衛門 森伊左衛門 宮本弥右衛門 人見久兵衛 平山藤蔵 小山為蔵 小幡勘介江口三太郎 大川又五郎 片岡文蔵 矢口新五郎 藤谷半助 佐藤伝内 石神弥左衛門 山本治兵衛 山口三太郎 小浦勘介 横山近江守 下河辺左近 矢幡刑部 若巻勘解由左衛門 大生紀伊守 浜野但馬守 林兵部 江寺式部 佐野帯刀柏崎主人 土子越前守 菊地河内守 坂隼人 小貫助左衛門 土子彦兵衛 宍戸五郎左衛門 戸塚源左衛門 森隼人 茂木九太夫 茂木半蔵 大生市正 柏崎小五郎 井関舎人 吉川刑部 榊原重兵衛 浜野大蔵 津賀彦七 飯田源内 飯笹源兵衛 石津健之助 新橋五郎右衛 新橋作助 横山戸内 横山孫四郎 窪谷八左衛門 小源源兵衛 今泉太郎左衛門 浦橋次郎左衛門 内田主税 前島次衛門 鴇田美濃守 など

(参考) 「島崎城跡を守る会」島崎城跡の環境整備ボランティア活動記録

交通アクセス

JR潮来駅から約3.8km、徒歩50分ほど。
潮来(いたこ)駅に隣接する観光案内所でレンタサイクル(貸自転車)があるようなので一考か。
前述のとおり無料駐車場ができているので、駐車場の場所は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。

常陸・島崎城

スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。
道路が狭めの為、お気をつけて訪問して頂きたい。

このあとは常陸・長山城に向った。

常陸・鹿島城の歴史解説~鹿島政幹・鹿島義幹など鹿島氏の滅亡まで
常陸・長山城のちょこっと解説~長山幹綱の居城である常陸・大掾氏の一族
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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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