千葉県

下総・桜井城のちょこっと解説~東胤頼が本拠地にした千葉一族東氏の城跡

下総・桜井城

スポンサーリンク



下総・桜井城

下総・桜井城(さくらい-じょう)は、千葉県旭市櫻井にある標高40mほどの平山城
別名は、櫻井城、前闕城、舞掛城、前掛城、前崖城、前野城、上代城、上代前掛城とも書く。

最初の築城としては、平安時代末期に上代越後守と言う名が見られるが委細不明。
<注釈> 上代(かじろ)と言う名称だが、そもそもカジロは神代のことで神聖な土地を意味する。

千葉大系図によると上代越後守が東庄町小南の下総・御門城に移り、桜井城には東胤頼が入ったとされる。

東胤頼(千葉胤頼)は千葉氏の一族で東氏の初代となった。

東胤頼

東胤頼(とう-たねより) は、源頼朝に味方した千葉常胤の6男で平安時代末期の1155年に生まれた。
母は秩父重弘の娘。

妻は、渡辺党の武士・遠藤持遠(遠藤左近將監持遠)の娘ともされる。
ちなみに、文覚(文覚上人)は遠藤持遠の子である遠藤盛遠が文覚で、のちに東氏と深い関係となる美濃遠藤氏へ繋がる。

1180年、石橋山の戦いにて敗れた源頼朝が房総に逃れると、東胤頼(千葉胤頼)の進言にて千葉氏は、平氏側の下総守・藤原親政を討ち取った。
そして、千葉一族と共に源頼朝に味方し、文武両道に秀でた千葉六郎大夫胤頼も平家との戦いに参じて平家を滅ぼすと、下総国東庄(とうのしょう)を与えられて東六郎大夫を称したようだ。
<注釈> 東庄(とうのしょう)は、橘荘(たちばなのしょう)とも言う。

下総・桜井城

東庄・山田・干潟・小見川町を含め東ノ荘33郷だけでなく、文治元年(1185年)には三崎郷(銚子方面)も与えられ、東下総に広い勢力を持った。
そのためか、東胤頼(千葉胤頼)は1190年須賀山城を築くと本拠を移し、さらに隣接する下総・森山城に移ったと言う。

1195年、奈良・東大寺の再建供養会では、千葉一族の臼井六郎(臼井有常)、印東四郎(印東師常)、天羽次郎(千葉直胤)、千葉二郎(千葉師常)、千葉六郎大夫(千葉胤頼)、境平二兵衛尉(境常秀)らと参詣したのを最後に、吾妻鏡からは東胤頼の名が見られなくなった。
その後、家督を子の東重胤(とう-しげたね)に譲ったようだ。

晩年は出家して法然上人の弟子になっていたようで、1228年、東胤頼は死去。
墓所は千葉県香取市の芳泰寺にある。

東重胤の子・東胤行(3代目)は承久の乱の功績にて美濃国郡上郡を与えられ、東氏の子孫はおもに下総国東庄と、美濃・東氏の2つに分かれることになった。


スポンサーリンク



下総東氏10代の東満顕のあと、東兼常、東兵部丞入道保元、東泰常入道保春と続いたようだが庶流も多く没落したようだ。
1565年、里見義弘と勝浦城の正木時忠が下総・桜井城の上代胤正(上代掃部之助胤正)を攻撃したとあり、桜井城(上代城)も東一族が城主となっていたのであろう。
<注釈> 上代胤正は近くの下総・和田城主でもあるが、先に和田城は落城していた可能性あり。
台地の上に布陣した上代胤正は上代勝乗、菅谷清次、野崎重左衛門ら一族を率いて戦うも敗れたともある。(夏方原の戦い」)
桜井城が上代城とも呼ばれるのは、恐らくこのように上代氏の城にもなったためであろう。
とにかく、千葉氏の一族はとても多く、東氏の系統だけでも20家?くらいあり、複雑でわかりにくい。

美濃東氏は栄えており、1455年、美濃・篠脇城の東常縁(とう-つねより)は室町幕府将軍・足利義政の命を受けて下総に出陣し、国府台城にいた千葉氏嫡流の千葉実胤・千葉自胤兄弟を支援。
馬加城馬加康胤(馬加陸奥守康胤)、生実城の原胤房を攻略した。
帯同していた副将格の浜春利(浜式部少輔春利)は、京に戻らず浜春利は上総・東金城に入り、土気城主も兼ねたともされる。

また、戦国時代の1559年、美濃の東常慶(とう-つねよし)は娘婿の遠藤盛数に攻められ滅亡。
東常慶の子・東常尭は飛騨・帰雲城内ヶ島氏理のもとに逃れたが、天正大地震による山崩れにて内ヶ島氏と共に死亡している。


スポンサーリンク



徳川家康が江戸に入ると千葉氏の一族の多くは所領を失い、城も廃城となっている。
周辺の城と同じく、下総・桜井城も廃城になるかとおもいきや、1592年、武蔵・忍城松平家忠(深溝松平)が再建して下総・上代城に居城した。

下総・上代城

しかし、松平家忠は1594年に小見川城に移っているため、僅かな期間で廃城となった。
松平家忠は、1600年、伏見城の戦いにて鳥居元忠らと討死した。

交通アクセス

駐車場が無いと言う事前情報につき、遠方からの撮影に留めている。
確かに止めるところも無く、稲刈りシーズンで道路に駐車するのは農家の皆様の迷惑にもなる恐れがあるため登城は自粛した。
下総・桜井城の高札場跡は当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。
道路が狭めの為、お気をつけて訪問して頂きたい。

このあと、下総・大友城に向かったがこれがまた大変であった。

須賀山城のちょこっと解説~東胤行の下総・東氏本拠地
東金城の解説~酒井胤敏(酒井敏房)が戦国時代に守った城跡
下総・大友城の解説「平良文の生涯」をわかりやすく平忠常も(桓武平氏良文流・坂東平氏の祖)
下総・網戸城(阿知戸城)の解説~東漸寺(木曽義昌・真理姫供養塔)と木曽義昌公史跡公園
下総・森山城(下総・飯田城)の歴史解説~千葉胤富(海上胤富)が大改修した巨大な城跡


スポンサーリンク



コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

城迷人たかだ

投稿者の記事一覧

高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

都道府県別


スポンサーリンク

只今人気のお城

城めぐり 2400城超えました

城めぐり
PAGE TOP