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上総・一宮城のちょこっと解説~須田将監や鶴見甲斐守の居城である上総の中心地

上総・一宮城

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上総・一宮城

上総・一宮城 (いちのみや-じょう) は、千葉県長生郡一宮町一宮にある標高約30mの平山城
別名は城山、一宮陣屋、加納藩城、加納藩陣屋。
最初の築城は南北朝時代ともされるが詳細不明。


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一宮と言うくらい古くから上総国の中心地であり、平安時代末期の領主・上総広常が上総一宮を本拠にしていてもおかしくはない。
近くには上総国一宮・玉前神社(たまさきじんじゃ)もあるが、周辺は市街地となっており一宮館がどこにあったのか?は不明だ。

上総国一宮・玉前神社

吾妻鏡では、上総広常が源頼朝の武運長久を願って、鎧を玉前神社に奉納している。
もしかしたら、その一宮館の詰め城として上総・一宮城が古くから機能していた可能性もあるだろう。

戦国時代の天文年間(1532年~1555年)になると大多喜城に入った正木時茂の支配下となっていたようだ。


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1554年4月、小田原城北条綱成が、里見義堯・里見義弘の守る久留里城を攻撃。
このとき、山本湯名城の山本左馬允、鳴戸城(成東城)の忍足美作守、大多喜城の正木時茂、請西城の茂木与茂九郎(16歳)らが北条勢を撃退したが、その中に、上総・一宮城主として須田将監の名がある。

翌年1555年、再び北条氏が久留里城を攻撃すると、須田将監は北条勢に内通しており、城外の入城寺に北条の軍勢を入れたと言う。
そして、入城寺の住職と城内に火を放つ計画であったが、事前に里見義堯に知られ、住職と須田将監らは処刑された。

1562年9月、上総・一宮城主は内藤久長(内藤久永)ともされ、館山城の里見義頼万木城の土岐頼春、大多喜城主の正木盛賢らに攻められたともされる。

上総・一宮城

その後、一宮城には大多喜城主・正木時茂の養子である正木大炊助が入ったようだ。
1564年、第2次・国府台の戦いでで里見氏が北条氏に大敗。
玉前神社は永禄年間(1558年-1570年)に戦火で焼失しているが、1565年、北条氏康に通じた上総・勝浦城?の正木時通(正木時忠の嫡男)が上総・一宮城を攻撃して炎上。
正木大炊介は没落したともあるが、この正木大炊助は正木憲時の可能性もある。
永禄年間に正木憲時が上総・一宮城主になっていたともあるが、時期が不明ながらも正木憲時は大膳亮を名乗ると大多喜城主となった。
ちなみに、1565年、正木憲時は伊能景信の矢作城を落としている。

1575年、北条氏が土気城・東金城を攻撃すると、米を刈り取り、兵粮米として北条に味方した一宮城の正木藤太郎に送ったとある。

正木氏は正木頼忠と正木憲時と2つに分かれていたが、1581年、里見義頼との内紛によって正木憲時が殺害されると、大多喜城だけでなく上総・一宮城にも里見氏の代官が派遣された模様だ。
<注釈> 正木頼忠の娘・蔭山殿(養珠院・お万の方)は徳川家康の側室になっている。

1590年、豊臣秀吉小田原攻めの際には、里見義康の家臣・鶴見甲斐守が上総・一宮城を守備していたことが史料に見えるが本多忠勝らが攻撃。
<注釈> 房総の鶴見氏と言うと笹子城主の鶴見信仲(鶴見五郎)、上総・鶴ヶ城の鶴見行綱(鶴見弥正行綱)がいるほか、万喜城の土岐氏家臣に鶴見甲斐守の名が見られるが、同一人物かは不明

その後、内藤正成が一時、上総・一宮城に入っていたようだ。

上総・一宮城

徳川家康が江戸城に入ると、大多喜城を任された本多忠勝の大多喜藩領となり、上総・一宮城は使われなくなる。

1617年、伊予・大洲城の脇坂安元が、信濃・飯田城5万5000石になった歳に、上総国一宮5000石が加増されている。

江戸時代に入ると、伊勢国八田藩・加納家の飛領となり、江戸時代後期の1826年、伊勢八田藩主・加納久儔(加納遠江守久儔)が、上総・一宮城跡地に陣屋を移したた。
一宮藩1万3000石となり、一宮陣屋が置かれたようだ。


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上総一宮藩最後の藩主・加納久宜の墓が一宮城跡にある。

2021年、東京オリンピックのサーフィン競技は一宮町で開催されている。

交通アクセス

JR外房線・上総一ノ宮駅から徒歩1分の上総一宮観光案内所にて電動アシスト付き自転車などの貸自転車(レンタサイクル)あり。

坂道を登り切ったところにある振武館という武道場前に駐車スペースがあるが、その一宮城まで行く道路は多少狭くカーナビ必須。
<注釈> 一宮藩の武道所の名前が振武館だった。

上総・一宮城の振武館前を当方のオリジナル関東地図にてポイントしている。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなる。
自動車用、歩行用でもナビとしてお使い頂ける。
お気をつけて訪問して頂きたい。

このあとは上総・本納城に向った。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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