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奈良井城のちょこっと解説~戦国武将・奈良井義高の居館

奈良井城

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奈良井城とは

奈良井城(ならい-じょう)は、長野県塩尻市奈良井にある丘城(平山城)。
別名は奈良井氏館、奈良井義高館と言う。
標高は約920m、比高20mほどになるか?

江戸時代、中山道の宿場町として栄えた奈良井宿を見下ろす小高い中腹に城(館)が築かれたと言う感じ。
もちろん、城として機能したのは戦国時代と言えるが、もっと昔から豪族の舘が奈良井にあった可能性はあるだろう。

平安時代末期には、武蔵・大蔵館付近で生まれた木曽義仲を匿ったとされる中原兼遠が、奈良井に鎮神社を創建している。
戦国時代の1532年には、木曽義在が奈良井宿の専念寺を創建した。


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奈良井城の城主としては、奈良井義高(奈良井治部少輔義高)の居館と伝わる。
奈良井義高は、木曽谷を統一した木曽義在の子とされるが諸説あり、隣接する洗馬を治めた土豪・三村氏が出自ともある。
このようなケースの場合、両方正しい事とも言えるので、三村氏から養子(人質)などとして木曽氏に出されて、木曽一族になった?のかも知れない。
いずれにせよ、奈良井氏を称したのはこの奈良井義高だけとなる。

やがて、武田信玄は木曽侵攻を行い、1555年、奈良井宿の先にある鳥居峠をなんなく超えている。
このとき、奈良井義高はいち早く武田家に臣従したとみられ、その後、木曽氏も武田の家臣団に組み込まれた。

奈良井義高は、木曾義昌の配下ではあるが、贄川砦の在番衆に加わり、洗馬宿方面と木曽義昌の監視を行ったようだ。
一説によれると、奈良井義高の正室は、信濃守護・小笠原長時の娘ともされる。

1582年、木曽義昌と奈良井義高は武田勝頼を裏切り織田家に寝返った。
そのため、武田勝頼は木曾氏討伐のため、今福昌和、山県昌満、仁科盛信らの軍勢を送り、鳥居峠の戦いとなった。
この時、木曾氏は織田信長に助けを求め、織田信忠の甲斐攻めが始まったと言えよう。

織田勢としては、織田長益・織田某・織田孫十郎・稲葉貞通・梶原平次郎・塚本小大膳・水野藤次郎・簗田彦四郎・丹羽勘介などが鳥居峠で、武田信豊・今福昌和・山県昌満・諏訪頼豊らを破り、武田勢は新府城の防御を固める。
この鳥居峠の戦いで負けたことが響いて、高遠城も陥落し、新府城も放棄となり、武田家は滅亡した。

1584年、小牧・長久手の戦いに際に、木曾義昌は豊臣秀吉に味方し、徳川勢を妻籠城にて撃退した。
しかし、贄川氏や千村氏が徳川家康に通じて、松本城主・小笠原貞慶を木曽に入れて、木曾義昌の木曽福島城を攻めている。
この時、奈良井義高も木曽・福島城の攻撃に加わったようだ。
木曽氏は最終的に徳川家康の傘下となったが、のち奈良井義高は木曾義昌によって殺害され奈良井家は滅亡したと思われる。
ただし、先に木曾義昌が奈良井義高を処断したので、贄川氏や千村氏が徳川家康に通じて小笠原貞慶に味方したともされるが、この前後の過程も不明といったところだ。


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1590年、徳川家の一員となっていた木曾義昌は、徳川家康の江戸城入りに従い、下総・網戸城(千葉県旭市網戸)に1万石で移った。
そのため、木曽には豊臣秀吉の家臣・石川光吉が入っている。

1600年、関ヶ原の戦いで石川光吉が西軍・石田三成に従ったため、木曾は尾張藩の領地となった。
木曾代官としては、妻籠城主だった山村良祺(やまむらたかのり)と山村良勝が1万6200石となって任命されている。

その後、北条氏邦 → 武田勝頼 → 滝川一益上杉景勝 → 徳川家康 → 徳川秀忠と主君を変えながら戦国の世を渡り歩いた藤田信吉が、大坂夏の陣で失敗し、奈良井宿に蟄居となったようだ。
そして、1616年、奈良井で藤田信吉は自刃したとされる。

なお、今回、時間の都合で奈良井城への登城までは行っていないこと、ご容赦願いたい。


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奈良井城の行き方ですが、場所などは、当方のオリジナル地図「名古屋・北陸方面」にてポイントしている。
オリジナル地図「名古屋・北陸」方面
スマホ画面などで表示して「検索窓」から検索して、カーナビ設定することでも使用可能。(徒歩ナビとしても可能)

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城迷人たかだ

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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