神指城とは
神指城(こうざし-じょう)は、福島県会津若松市神指町にある平城で、標高201mになります。
最初の築城は、戦国時代末期で、上杉景勝となります。
1598年1月、豊臣秀吉の命により、上杉家は、春日山城から、120万石となって、会津へ移封の命を受けます。
上杉景勝は、会津若松城を本拠にし、米沢城には直江兼続、陸奥・白石城には甘糟景継、福島城は本庄繁長、梁川城には須田長義、東禅寺城へは志駄義秀が入りました。
向羽黒山城を2年かけて、大改修も行っています。
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しかし、豊臣秀吉が死去すると、重臣の直江兼続が石田三成と懇意であったことなどから、上杉家は、徳川家康と対立するようになりました。
そして、徳川との対立が、もはや、避けられなくなると、会津若松城の城下町の拡大余地が残されていなかったのを理由に、代替に新城を築こうとしました。
会津若松城は、小田山城など、山から近く、大砲を撃ちかけられる可能性も高く、大坂城や小田原城のように、総構えの城が求められたと言う事もあると存じます。
会津盆地の真ん中付近を検討し、当初は、陸奥・北田城跡の付近を候補にします。
しかし、北田城跡は、川の氾濫・洪水に見舞われる可能性があったことから、最終的に阿賀川の東岸になる、神指ヶ原に、新たな城の場所に定めました。
阿賀野川の水運を利用して、日本海への交易も考えていた地勢となり、面積は鶴ヶ城の約2倍と、とても広いです。
13の村が移転となりました。
そして、佐竹義宣からは、車猛虎ら家臣・職人300名の応援も受け、1600年2月10日から、建設を開始し、領内から12万人の人足を動員したと言います。
惣奉行は直江兼続、小奉行は小国但馬(大国実頼)、甘糟備後(甘糟景継)、山田喜右衛門らが担当しました。
ところが、4月になって、徳川家康から、豊臣家に対しての謀反の動きがあるとされ、領内諸城改修の申し開きをするため、上洛するようにとの命が届きます。
しかし、罠だと感じた上杉景勝は、拒否し、直江兼続は「直江状」を送りました。
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合戦の可能性が高まったため、神指城は昼夜問わずの突貫工事となりましたが、いよいよ、徳川家との合戦に備える必要が出たため、6月10日、普請は中断となりました。
代わって、敵の侵入経路となる街道防衛の充実を図っています。
なお、着工しから3ヵ月、神指城の本丸・二の丸の土塁と石垣、水堀と門は完成していたようです。
徳川家康は、1600年6月2日、関東の諸大名に対して会津征伐の陣触れを出しています。
関ヶ原の戦いのあと、1601年8月、上杉景勝は米沢城へ30万石で減封となり、工事を中断していた神指城は、徳川家康の命にて破却されました。
完成していれば、東北を代表する巨大城郭になっていたことでしょう。
石垣は、1639年加藤明成によって、会津若松城へ運ばれて、鶴ヶ城の拡張工事に転用された模様です。
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現在は、田園地帯となっており、小さな集落が点在しています。
遺構はあまり残っていませんが、城の鬼門に位置する「高瀬のケヤキ」が、大きな土塁のうえにあるようで、国の天然記念物に指定されています。
ちなみに、高瀬のケヤキがある部分は、二の丸の北東側の土塁となります。
春には、きれいな桜も、花を咲かせます。
神指城の立ち寄るべき箇所、概ね3箇所に分かれ、上記の高瀬のケヤキ以外には、本丸東側にある案内板、あとは、本丸南側です。
本丸・南側は微高地になっており、幕末の会津戦争の際に、新選組の斉藤一ら15名が、陣を置いた場所「如来堂」があり、クルマ2台ほど、雑草の中に止められます。
交通アクセス
JR磐越西線・会津若松駅の若松駅前バスターミナルから、会津バス・ 坂下線で所要13分、黒川バス停、または、高瀬バス停下車です。
ただ、広いので、バス停から散策すると、1時間以上の見学所要時間となります。
会津町方伝承館などで、貸自転車(レンタサイクル)を利用しても良いかと存じます。
クルマで訪れる際には、道路は概ね狭く、広い所でも、1.8車線のため、農作業で移動するなど、地元の皆様にご迷惑をかけないよう、ご配慮願いたいところです。
当方は、稲刈りのあとの時期に、訪問させて頂きました。
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各場所などは、当方のオリジナル東北地図にてポイントしております。
スマホで表示して、目的地として選択し「ナビ開始」にすれば、カーナビ代わりにもなります。
自動車用、歩行用でも、ナビとしてお使い頂けます。
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