香川県

讃岐・高松城~天守復元に向けて整備が進む日本100名城

讃岐・高松城

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讃岐・高松城とは

讃岐・高松城(たかまつじょう)は、日本の香川県高松市玉藻町にある輪郭式平城で、玉藻城(たまもじょう)とも呼ばれる国の史跡です。
日本100名城日本の歴史公園100選にも選ばれています。
最初の築城は戦国時代で、豊臣秀吉の時代に、生駒親正(いこま-ちかまさ)が讃岐17万6千石の大名となったのが始まります。
生駒親正は最初に引田城へ入りましたが、讃岐の東すぎるのと手狭であったため、すぐに聖通寺城を本拠とします。


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しかし、山城の聖通寺城は不便と言う事もあり、1588年から篦原庄玉藻浦の「野原」と呼ばれた港町に新城の築城を開始しました。
そして、1590年(天正18年)に讃岐・高松城が完成したと言い、地名を高松と改めました。

讃岐・高松城

玉藻城とも言う由縁は、万葉集で柿本人麻呂が讃岐国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことがあり、高松城周辺の海域が、玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされています。

讃岐・高松城

海岸に面しているため、海城とも言え瀬戸内海の水軍基地としても機能させることが前提だと言えます。
そのため、伊予の今治城、豊前の中津城と共に、堀には海水を引き入れた日本の三大水城のひとつに数えられます。

讃岐・高松城

縄張り(設計)は、中津城を築城した黒田孝高(黒田官兵衛)が手掛けたと言われますが、細川忠興小早川隆景藤堂高虎などの手も加わっているとする説もあります。

讃岐・高松城

1597年には、讃岐・丸亀城も築城して、子の生駒一正を入れました。

讃岐・高松城

生駒親正は駿府城主・中村一氏越前府中城主・堀尾吉晴と、豊臣政権で重要な位置づけでしたが、1600年の関ケ原の戦いでは生駒親正が石田三成の西軍、子の生駒一正(いこま-かずまさ)が東軍の徳川家康に味方し関ヶ原本戦で武功を挙げます。
東軍が勝つと、生駒親正は高野山に入って家督を生駒一正に譲り所領安堵となりました。

讃岐・高松城

しかし、生駒家は、第4代藩主・生駒高俊の代である寛永17年(1640年)に、お家騒動(生駒騒動)となって改易され、出羽・矢島藩に1万石に減封となりました。

讃岐・高松城

そして、1642年(寛永19年)、水戸藩の初代藩主・徳川頼房の子である常陸・下館藩主の松平頼重が12万石で讃岐・高松藩主となります。
この時、高松城は更に改修されて、2代・松平頼常にも工事が引き継がれました。

讃岐・高松城

特に、海城がゆえに飲料水の確保が難しかったため、高松城下の亀井・大井戸・今井戸から水道を引いたと言います。
また、1669年には小倉城を参考にした独立式層塔型3重4階地下1階の天守が完成し、松平頼重が隠居する栗林公園を造築しました。

讃岐・高松城

高松城は天守台がある本丸があり、それを取り囲むように北に二の丸、東に三の丸、南に桜の馬場、西は西の丸を配しています。
堀は3重に水堀が廻らされていました。
下記の場所からは、有料ですが、舟に乗って堀めぐりもできるようになっています。

讃岐・高松城

幕府にとって四国で重要な親藩として高松は発展し、天守は明治に入ってもしばらく現存していましたが、老朽化のため明治17年に解体されています。
なお、太平洋戦争の高松空襲にて、三の丸の桜御門が焼失しました。

北の丸月見櫓、北の丸水手御門、北の丸渡櫓、東の丸艮櫓は現存しており、国の重要文化財に指定されています。

讃岐・高松城

三の丸にある披雲閣(ひうんかく)も国指定重要文化財ですが、旧松平家高松別邸とも言う通り、最後の藩主の子・松平賴壽(まつだいら-よりなが)が巨額な費用を投じて、1917年(大正6年)に建てたものです。

披雲閣

ただし、同じ3の丸には、江戸時代には実際に藩主が生活した同じ名前の披雲閣があったそうですが、昔は今の規模の2倍以上あったと言います。
庭園が散策できるようになっていました。

高松城の庭園

高松城の天守台にかつて「南蛮造り」と呼ばれる約24.5メートルと四国で一番高い天守だったそうで、高松市ではこの天守復元を視野に入れていると言います。

高松城の天守台

ただし、資料が乏しいようで、天守閣の関連資料であれば、どんなに小さな情報でも探しているようです。
なお、三の丸の桜御門の方が先に復元されそうですが、楽しみですね。


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讃岐・高松城の入園料は、大人(16歳以上)200円、子供(6歳~15歳)100円ですが、12月29日~12月31日は休園で、1月1日~1月3日は無料開放されます。
開園時間はずいぶんと細かいのですが、「西門」が、4月~5月・9月 05:30-18:00、6月~8月 05:30-19:00、10月 06:00-17:30、11月 06:30-17:00、12月~1月 07:00-17:00、2月 07:00-17:30、3月 06:30-18:00と、かなり細かいです。
「東門」からですと、4月~9月 07:00-18:00、10月~3月 08:30-17:00です。
高松城の中心部だけが有料と言う事ではなく、堀の内部に入るところから有料エリアとなります。

高松城

行き方

交通アクセスですが、JR高松駅からですと、徒歩3分で高松城の入口となります。
琴電の高松築港ホームも高松城から見えるくらい近いです。

高松築港

ことでんの電車も高松城のすぐ脇を通っています。

ことでんと高松城

玉藻公園南東側にある東入口の所に玉藻公園用の無料駐車場があります。
当方のオリジナル四国地図にて駐車場入口をご確認頂けますと幸いです。
今回、高松は、実に30年ぶりに訪れましたが、だいぶ変わっていました。
高松城の観光所要時間は、30分~90分といったところで、普通でしたら60分あれば良いでしょう。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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