香川県

十河城と十河城の戦い~十河城を訪ねて

十河城

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十河城(そごうじょう)は、讃岐の高松市南部にある平城で、別名は西尾城とも言います。

川にて東西が谷になっている舌状の微高地で、標高は標高42m、比高10mとなります。
大正時代に土地が大幅に改良されてしまったため、遺構は残っていませんが、現在の称念寺が本郭跡とされています。

十河城跡

南北朝時代から桃山時代までの約230年間、十河氏の居城となりました。

十河氏(そごうし)は、神櫛皇子の流れをく植田氏の一族で、讃岐国山田郡を支配していました。
1362年ころ十河吉保が、十河氏惣領となり、十河城を築いたとされています。

戦国時代になると8代目の十河景滋(そごう-かげしげ)は男子に恵まれず、阿波の三好長慶(みよし-ながよし)の弟・十河一存(かずまさ)を養子に迎えました。
しかし、まだ幼少であったため、後見として三好存保が十河城に入って城主を務めます。

1561年に、十河一存が急死するなどし、代わって三好存保(十河存保)が十河家を継ぎました。
十河一存には十河存之(そごう-まさゆき)がいましたが、庶子であっため、家督を継げなかったとされています。

しかし、三好氏の衰退とともに、長宗我部元親が勢力を伸ばしてきており、次第に圧迫を受けます。

十河城では2回、戦国時代に合戦があったことが分かります。

最初は第1次・十河城の戦いで、1582年8月11日でした。

長宗我部元親と香川親和の軍勢が讃岐に侵攻し、1万1000もの兵を十河城に向けたと言います。
このとき、十河存保は勝瑞城おり、十河城には十河存之を配置していて1000にて守らせました。
また、兵糧3ヶ月分を輸送して籠城戦に備えたと言います。

十河城からは多数の鉄砲で応戦したとあり、長曾我部勢は大筒2門にて反撃したとあります。
前田城主・前田宗清が夜討ちして、長宗我部元親の陣地から食料を奪ったともあり、長宗我部勢は疲弊したようです。

一方、勝瑞城では中富川の戦いに敗れ、十河存保は9月21日の夜半に勝瑞城から落ち延びて、虎丸城に入り、明智光秀を打ち破った羽柴秀吉に救援要請しました。
そして、洲本城仙石秀久が援軍として四国へ向かう準備を開始しました。

その間、長曽我部勢は、36000まで増強して十河城を攻めますがついに落とせず、冬になって撤退しています。

翌年、1583年4月、仙石秀久軍が淡路島から小豆島に渡って、喜岡城、屋島城を攻めますが撤退したほか、小西行長も香西浦にて長宗我部勢の反撃を受けて上陸できないまま退却しました。

そして、長宗我部元親の本隊は、阿波から大窪峠を越えて田面山に陣を張り、虎丸城の攻略を開始しました。
その間に、仙石勢が引田城に入ったと知ると、香川之景を引田城に向かわせて、引田の戦いとなり、敗れた仙石秀久は船で淡路城に退きました。

この頃、十河存保は虎丸城を諦めて、十河城に入城したとされています。

一方、羽柴秀吉は、ちょうど、小牧・長久手の戦い織田信雄・徳川家康と戦っており、徳川家康が長曽我部元親に対して、淡路に進軍するように呼びかけたと言います。
そのため、羽柴秀吉も大坂城へ戻って、防備を固めました。

四国平定を急いだ長曽我部元親は、十河勢の寒川氏、由佐氏を調略し、雨滝城など十河城の支城を次々に落としています。
そして、翌年の1584年6月11日、第2次・十河城の戦いとなり、十河城は陥落しました。

その前日6月10日夜、十河存保と十河存之は十河城を抜け出しており、屋島から備前、そして堺へと落ち延びました。

そして、十河城には長宗我部親武が城主として入っています。

その後、豊臣秀吉の四国攻めとなり、1585年に長曽我部氏は十河城から撤退し、仙石秀久が讃岐を与えられると、十河存保は2万石として十河城に復帰しています。

しかし翌1586年、豊臣秀吉の九州征伐の際に、島津家久との戸次川の戦いにて十河存保と十河存之は討死し、十河城は廃城となりました。


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アクセス

十河城跡への行き方ですが、電車の場合、高松琴平電気鉄道・長尾線の「池戸駅」から徒歩約20分です。
車の場合、称念寺に参拝者用の無料駐車場が、お寺さんの手前右にありますが、県道30号から入るところが、ちょっと狭いです。

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高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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