島根県

三笠城 (牛尾城)の歴史解説 尼子氏の重臣である牛尾幸清・牛尾久信

三笠城(牛尾城)




三笠城 (みかさ-じょう) は、島根県雲南市大東町南村にある山城で、牛尾城・三笠山城とも言います。
標高は302m、比高180mと堅固な尼子十旗のひとつです。
両脇を谷で挟まれた、尾根に築かれており、三笠山の山頂が主郭になっているようです。
西の谷の向こう側には、支城である高平山城(高平城)がありました。
また、八雲山を経由して出雲・熊野城と連絡もしていました。
なお、月山富田城の対岸に、名称が似ている、出雲・三笠山城もありますので、混同しないよう注意が必要です。





牛尾城(三笠城)は、その名の通り、牛尾氏が築いたとされます。
牛尾氏は信濃・諏訪大社神主家である諏訪氏の一族・中沢真直が、鎌倉時代に、出雲国大原郡牛尾荘を領して牛尾氏を称したことから始まりました。
中沢真直の子・牛尾信濃守の娘が、玉造城・湯氏の初代である湯頼清の子・湯清信を婿養子に迎えています。
一族としては、牛尾氏、中沢氏、菅氏とわかれています。

戦国時代には、出雲国守護の京極氏に従っていました。
月山富田城の尼子経久が出雲を支配すると、傘下に入り、牛尾幸清(牛尾重則/牛尾遠江守幸清)ら、一族の多くが重臣となっています。
「尼子分限帳」では、御家老衆として、牛尾幸清が備前之内10万石、お手廻り衆として牛尾久信(牛尾太郎左衛門)が伯耆之内1万1700石、牛尾弾正大弼は、松江の内3732石とあり、宇山久兼、川副久盛、佐世清宗らと並んで、尼子氏の中でもかなりの地位にあったようです。

三笠城

牛尾幸清(うしお-よしきよ)の出自は、満願寺城や、伯耆・時山城の「湯原氏」湯原次郎左衛門尉幸清だったようで、実父は湯原某とあります。
婿養子として牛尾氏に入った可能性があるでしょう。
1511年、牛尾幸清は、大内義興が上洛する際に、尼子経久と共に大内勢として上洛し、三好氏と船岡山の戦いにも参加しました。
天文9年(1540年)には、尼子晴久に従い、毛利元就の安芸・吉田郡山城の攻撃にも加わっています。
この時、元・安芸武田家の当主だった武田信実が、牛尾幸清と共に、佐東銀山城に帰城したともあります。

その後、大内家に寝返る家臣らが多かったなか、牛尾幸清や一族は、尼子勢として残っています。
同じ一族と考えられる中沢豊前守は、信州・諏訪大社の武御名方命を須我神社に合祀しているのが見受けられます。

三笠城

永禄3年(1560年)、主君・尼子晴久から本城常光への支援を命じられ、牛尾幸清と子の牛尾久信(うしお-ひさのぶ)が出陣しています。
牛尾久信は、波根湖の尼子水軍も指揮していたようです。
石見の福屋隆兼が、毛利氏から尼子氏に寝返ると、毛利勢・吉川経安石見・福光城を攻撃しています。





1561年、毛利元就が出雲に侵攻すると、牛尾城にて一戦を交えたあと、月山富田城に入り籠城しました。
1562年、毛利勢が出雲・白鹿城を攻撃した際には、尼子倫久を総大将にして牛尾氏も、松田誠保の援軍として駆けつけますが、落城しています。
1565年、第2次・月山富田城の戦いでは、尼子義久と共に、富田城にて籠城しました。
しかし、兵糧攻めによって落城し、牛尾幸清は、嫡男・牛尾久信と共に、毛利家に降伏しています。
この時、所領は失ったようで、安芸・院内城に移されていますが、以後は毛利勢として合戦に出ています。
牛尾幸清の没年などは不明です。

三笠城(牛尾城)

1569年、山中鹿之助らが、尼子勝久を戴いて「尼子再興軍」を旗揚げすると、牛尾久信(牛尾左衛門尉)の兄弟など、牛尾一族は2分して敵味方に分かれ、一族同士で合戦に及んでいます。
一族で、牛尾幸信(牛尾弾正忠)が、尼子再興軍に加わり、出雲・牛尾城を占領して籠城しています。
そして、毛利勢で、高平山城(高平城)にいた牛尾豊前守を攻めました。
1570年、布部山の戦いで、尼子再興軍は惨敗し、牛尾城には、吉川元春の家臣・田中経忠と香川春綱が攻め寄せ、約160名が討死し、牛尾幸信も自刃しました。
その後、毛利家に従っていた、牛尾豊前守が美作・升形城から正式に移って、三笠城に入ったとあります。

牛尾城

この牛尾豊前守ですが、夫の無事と嫡子・牛尾大蔵左衛門の出世を願う、妻の説得にて、毛利家に下っていて「今宗領遠江守ヵ所領ノ牛尾七百貧」を与えられていたようです。
その妻(正室)は、武田信実の妹のようで、今巴(いまともえ)と異名をとる、女武将として、夫の留守中から攻撃を受けた、高平山城(高平城)を守り抜いたと言います。
<注釈> 安芸武田氏・武田信実は、佐東銀山城から出雲に逃亡すると尼子晴久を頼っており、1540年、2000を率いた牛尾幸清の協力を得て、佐東銀山城を一時奪還しています。
江戸時代に入ると、牛尾豊前守は、牛尾流・潮流(うしお-りゅう)として、能楽の笛の名手として知られており、伊達政宗は、家臣の平岩親好を入門させました。

一方、毛利家にいた本流の牛尾久信に関しては、天正14年(1586年)に豊臣秀吉の九州攻めの際に先陣にみられますが、豊前にて討死したとされています。





三笠城 (牛尾城)への交通アクセスですが、レンタカーやタクシーでの移動をお勧め申し上げます。
牛尾城に登城する場合には、海潮(うしお)神社の脇道を、谷の奥へと約400mほど行くと、駐車スペースと登城口があるようです。

このあとは、出雲・熊野城へ向かいました。(ちょっと道が狭いところもありました。)

出雲・三笠山城 尼子十砦
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(株)TOLEDO、高田哲哉と申します。
20年以上戦国武将などの歴史上の人物を調査している研究家です。
日本全国に出張して城郭も取材させて頂いております。
資格は国内旅行地理検定2級、小型船舶操縦士1級など。

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