小丸城(こまるじょう)は福井県越前市にある平城で、鞍谷川によってできた味真野(あじまの)扇状地の丘陵にあります。
標高は44.6m、比高は20mです。
織田信長が一乗谷城の朝倉家を滅ぼすと、1575年、北ノ庄城に配置された柴田勝家の与力として、越前・府中には府中三人衆が置かれました。
越前・府中城には前田利家、すぐ近くの龍門寺城には不破光治が入り、佐々成政は小丸城り築城を開始して、3名で合計で10万石を領しました。
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現在は、本丸の一部と周辺部土塁や堀の一部などが残存していますが、本丸は約50m四方で一部石垣があります。
これら小丸城の石垣は、再利用されずに残っていることから、織豊系石垣の典型例としては貴重です。
虎口や石垣が残っています。
本丸の周囲には堀が巡らされたうえで二の丸跡の平坦面があり、城域にあった野々宮廃寺跡は、小丸城跡から道路をはさんで南側約300mのところとなります。
1932年(昭和7年)に、前田利家による一向一揆勢の処刑の様子が記されている、瓦の破片が北西の乾櫓跡から出土し、味真野「越前の里・万葉館」にて展示されています。
この瓦(かわら)は、一向一揆衆が従属して小丸城の築城に加わっていたようで、織田家に対する恨みの文が彫られていました。
張り付け、釜茹で1000人も処刑したと書かれています。
佐々成政は、僅か4年の在城で、越中・富山城に移ると、小丸城は廃城になりました。
小丸城は未完成であったとも言われるように規模は大きくありませんし、防御力も高くはありませんが、この程度の広さは私の好みです。
ただし、実際には長さ300mなど城域はある程度大きかったようでして、大半は失われていると言う事でしょう。
遺構はわずかなお椀型の城址となっていますが、その部分だけ見れば遺構は良く残っているほうだと感じます。
横にある常安楽院前に駐車スペースがあります。
この辺り、道路は昔ながらで、ちょっと分かりにくいところですので、当方のオリジナル地図をカーナビ代わりに使うと分かりやすいかも知りません。
小丸城近くの城福寺は、枯山水の庭園で有名であり、国の史跡名勝天然記念物に指定されています。
味真野小学校の校庭の中にある一本桜「味真野のサクラ」も有名なところですが、春先には小丸城の桜も見事だと言います。
交通アクセスですが、JR北陸本線の武生駅からバスで、小丸城バス停下車となります。
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